西洋占星学 -星脳®︎-

星脳®︎の暁瑠凪は、西洋占星学研究家として人生を星よみの研究、実践、鍛錬の日々を繰り返して参りました。

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2019年11月30日土曜日

【2019/12月前半スケジュール】




こんばんは、暁です。12月になります。あと今年も1カ月、悔い無く過ごしましょう♪


2019/12月前半スケジュール】

12/2月曜 10時〜武蔵小杉、13時〜竹橋「東京毎日文化センター」タロット講座、15時〜西洋占星学講座、17:30〜蓮沼

12/3火曜 10:30〜馬車道、16時〜個人レッスン

12/4水曜 1121 原宿占い館「塔里木タリム」出演(ヴェルニlog in)

12/5木曜 1121 原宿占い館「塔里木タリム」出演(ヴェルニlog in)

12/6金曜 1121 原宿占い館「塔里木タリム」出演(ヴェルニlog in)

12/7土曜 1316 HARA塾「環(くるり)@原宿

12/8日曜 1116 横浜「ミクセリア学院」無料説明会

12/9月曜 1420時横浜「ミクセリア学院」、20時〜「部活」忘年会@横浜そごう

12/11水曜 1121 原宿占い館「塔里木タリム」出演(ヴェルニlog in)

12/12木曜 1121 原宿占い館「塔里木タリム」出演(ヴェルニlog in)

12/13金曜 1121 原宿占い館「塔里木タリム」出演(ヴェルニlog in)

12/14土曜 1113 個人レッスン@横浜

12/15日曜 1315HARA塾「環(くるり)@原宿


2019年11月27日水曜日

暁の挑戦〜大学1-11〜

【日本の歴史】設題


書籍名「概論 日本歴史」

編者:佐々木潤之介、佐藤 信、中島三千男、藤田 覚、外園豊基、渡辺隆喜

主題:初期議会から日清戦後にかけての政党について


1870年代からスタートした自由民権運動。

1890年の第一議会から日清戦争直前の第六議会までを初期議会呼ぶ。

初期議会と呼ばれる第一議会時の内閣総理大臣は山縣有朋である。最初の内閣総理大臣は、伊藤博文。憲法発布時の内閣総理大臣は、黒田清隆。そして、第一議会の内閣総理大臣は山縣有朋である。

初期議会の特徴として、超然主義の富国強兵を推進する藩閥政府と議席で過半数を占める民党との戦いがあった。藩閥政府政党の動向には左右されないと超然主義を取り、かつ朝鮮の利権に興味があり、膨大な軍事費を使いたいとの思いが見える。

それに対して、民党の立憲民進党や立憲改進党は議会の過半数を占めて、この時期に戦争を起こすのには反対、経費削減が中心スタンスだった。それにより対立構図が出来上がっていった。

衆議院の構成は、300議席中、立憲自由党が第一党130議席、立憲改進党も40議席で、民党が過半数を占めていた。

松方正義を首相とする第二議会も、予算案を巡って対立。海軍大臣樺山資紀の蛮勇演説で紛糾し、議会は解散、第二回総選挙となった。この時、内務大臣品川弥二郎による流血の大選挙干渉があった。しかし、結果は民党が過半数を占め、選挙干渉の責任問題で、議会運営の見通しの立たない松方内閣は第三議会終了後、総辞職

した。松方辞職の後、伊藤博文は山県有朋に、総理を打診したが、山県は拒否。そこで伊藤は自らが内閣を組織、第2次伊藤内閣となる。

第2次伊藤内閣のもと、第四議会では、自由党が内閣に接近して、与党化した。また、予算案で紛糾する議会に対して、和衷協同の詔=天皇の建艦詔勅が出され、予算案は通過した。これ以後、民党は政府との対決の手段を、予算審議から条約改正問題へ移すこととなる。

第五議会では、与党化した自由党に対して、民党である立憲改進党に、品川弥二郎の率いる国民協会が接近した。品川は先の選挙干渉の責任をとる形で、政府を出されていた。品川にしてみれば、噴飯やるかたない思いであったろう。自分の選挙干渉のおかげで当選した議員たちに、立憲改進党とともに、政府攻撃をさせた。これを対外硬派連合という。この攻撃に対し、政府は議会を解散。第六議会は、開始とともに内閣弾劾上奏案可決、内閣は議会を解散、泥沼化かと思われた。ところが、この年、日清戦争が始まる。大本営のおかれた広島で、開かれた第七議会は、満場一致で戦費予算を承認。ここに内閣と議会の全面対決は終了した。

日清戦争に目を向けると日清戦争は、政府と政党との関係に大きな変化をもたらした戦争であった。戦争中、政府と政党は政争を一時中止して挙国一致で戦争遂行にあたったが、

戦後になると、政府と衆議院の第一党である自由党は戦後経営をめぐって共同歩調をとり、1895(明治28)年11月、両者は公然と提携を宣言し、軍備拡張などを盛り込んだ予算案を認めた。そして、翌年4月には板垣退助が内務大臣として第2次伊藤内閣に入閣した。これより、同内閣は事実上、自由党との連立内閣となった。また、この年に伊藤内閣のあとを受けて成立した第2次松方内閣は、進歩党と提携して、大隈重信が外相となった。こうした藩閥と政党との連立内閣の出現を通じて、政党はしだいに勢力を伸長していった。1898(明治31)年には、第3次伊藤内閣は、戦後経営のための恒常的な財源を確保するため、地租増徴案を議会に提出したが、自由党と進歩党はともにこれに反対し、同案は否決された。衆議院は解散されたが、同年6月、自由党と進歩党は合同して憲政党を結成し、来るべき総選挙で衆議院の絶対多数を制する形勢となった。その結果、伊藤内閣は退陣し、伊藤はじめ元老たちの推薦を受けた大隈重信と板垣退助が組閣を命ぜられ、大隈を首相とし憲政党を与党とする日本で最初の政党内閣を組織するにいたった。このいわゆる隈板内閣は、首相大隈·内相板垣以下、陸相・海相以外はすべて憲政党員からなっていた。しかし、憲政党は同年8月の総選挙で衆議院の絶対多数を占めたにもかかわらず、自由党系と進歩党系の対立が激しく、文相尾崎行雄が共和演説 を非難されて辞職に追い込まれた。結局、旧自由党系の星亨が暗躍して憲政党を解党させたために同内閣はわずか4カ月余りの短命に終わった。尾崎が帝国教育会で道議高揚を説く演説をしたとき、「もし日本が共和制となれば三井・三菱らは大統領になるだろう」と日本の拝金主義を戒めたのが逆用され、旧自由党系や天皇側近の間から天皇に対する不敬の言動として攻撃され、辞職に追い込まれた。このとき、旧自由党系は新しく憲政党を結成し、旧進歩党系は憲政本党をつくった。あとを継いだ第2次山県内閣は、いったん憲政党と手を結んで、1898(明治31)年、地租増徴案を成立させ、地租率を地価の3.3%に引き上げた。山県内閣は、その後、政党の力をおさえるため、1899(明冶32)年には文官任用令を改正して政党員が官吏になる道を制限し、翌1900年には軍部大臣は現役の大将・中将に限る軍部大臣現役武官制を確立し、また治安警察法をつくつて社会、労働運動を規制するなどの政策をとった。

しかし、超然主義がもはや不可能であることは明らかであった。懸案となっていた衆議院議員選挙法の改正が山県内閣のもとで1900(明治33)年に行われ、選挙権については直接国税の制限額は10円以上に引き下げられて有権者は倍増し、被選挙権における納税額による制限は撤廃されるなど、国民の参政権が拡大されたのである。投票方法も無記名秘密投票制が採用された。このような情勢のなかで、憲政党は文官任用令改正問題で対立を深めていた山県内閣との提携をやめ、伊藤博文に接近し、伊藤も自ら積極的に政党結成に乗り出した。こうして星亨らの指導により憲政党は解党し、伊藤を総裁に擁立して、1900(明治33)年9月立憲政友会が結成された。立憲政友会、初代総裁は伊藤博文、幹部は西園寺公望(18491940)·星亨・松田正久(18451914)・片岡健吉・尾崎行雄·原敬(18561921)・大岡育造(18561928)らであった。かつて自由民権派として活躍した旧自由党系政治家や伊藤系の官僚が中心メンバーとなったが、伊藤は結党にあたって広く実業家・地方議員などにも入党を呼びかけ、また地主層などに多くの支持者を得た。1902(明治35)年の総選挙では190名の代議士を衆議院に送り込んで、過半数を制した(衆議院の定数は376名)。しかし、山県有朋は伊藤の立憲政友

会結成に批判的立場をとり、山県系の官僚やその影響下にあった貴族院議員などは立憲政友会に参加せず、貴族院は立憲政友会と伊藤内閣の反対勢力の拠点となった。

立憲政友会を基礎として190010月に成立した第4次伊藤内閣は半年余りで終わったが、これを機に伊藤・山県らは第一線を退き、元老として内閣の背後から政治を動かすようになった。そして、1901(明治34)年の第1次桂内閣成立以後、山県を後ろ盾に藩閥·官僚勢力に基礎をおく桂太郎(18471913)と、伊藤のあとを継いだ立憲政友会総裁西園寺公望が、交代して内閣を組織する、いわゆる桂園時代が始まった。

このように、帝国議会開設以来10年ほどで立憲政治は定着し、明治憲法体制下に大きな地位と勢力を占め、日本における政党政治発展の基礎が築かれることになった。憲法制定に際して日本が多くを学んだドイツでは、議会の多数党が政権をとることはなかった。

日本の場合、憲法の運用がドイツとはかなり違っていたことがわかる。


〈参考文献〉

詳説日本史研究/山川出版社

2019年11月20日水曜日

2020年上半期の運勢を知る! 西洋占星学1dayワークショップ

ここのワークショップでは、2020年上半期のトランジット(運行)惑星の傾向をお伝えし、各個人の出生図との関連性から上半期の運勢を表にしていきます。これは一般的な運勢ではなく自分自身のオリジナルな運勢を知ることになるので大いに役立つこと間違いなしです。ガッツリ星の動きを日々に活かしたい方、星による自分の運勢を知りたい方、西洋占星学を学んでいる方、一緒に2020年上半期の運勢を洗い出しましょう。

これらを西洋占星学の使い手として実際の鑑定経験を積み重ね、検証済みの生きた知識をお持ちである鑑定歴40年・講師歴29年の暁 瑠凪(あかつき るな)先生が導いてくれます。


講座名

2020年上半期の運勢を知る!西洋占星学1dayワークショップ



対象者

12星座、10惑星を知っている方



講座内容

  • 2020年上半期トランジット惑星の傾向と対策
  • 2020年上半期運勢表の作成
    ※2020年上期オリジナル運勢表付き


開催日時

2019年12月7日(土) 13:00-16:00



料金・お申し込み方法

講座の詳細やお申し込みは、開催場所のホームページでご確認ください。

お申し込みはこちら >

2019年11月15日金曜日

【2019/11月後半スケジュール】


おはようございます、暁です。11月後半です。あと1カ月半、粛々と意識を持って進みましょう

2019/11月後半スケジュール】

11/16土曜 1112:30 個人レッスン@横浜

11/18月曜 13時〜竹橋「東京毎日文化センター」タロット講座、15時〜西洋占星学講座、17:30〜蓮沼

11/19火曜 1921HARA塾「環(くるり)@原宿

11/20水曜 1121 原宿占い館「塔里木タリム」出演(ヴェルニlog in)

11/21木曜 1121 原宿占い館「塔里木タリム」出演(ヴェルニlog in)

11/22金曜 1121 原宿占い館「塔里木タリム」出演(ヴェルニlog in)

11/24日曜 1315HARA塾「環(くるり)@原宿

11/25月曜 1617:30個人レッスン、18:30FT有志忘年会@田園調布

11/26火曜 1315HARA塾「環(くるり)@原宿、1718時ミク役員会、1921時ミクセリア忘年会@横浜ポートサイド地区

11/27水曜 1121 原宿占い館「塔里木タリム」出演(ヴェルニlog in)

11/28木曜 1121 原宿占い館「塔里木タリム」出演(ヴェルニlog in)

11/29金曜 1121 原宿占い館「塔里木タリム」出演(ヴェルニlog in)

2019年11月12日火曜日

暁の挑戦〜大学1-10〜

【民俗学】設題1

書籍名:「新・民俗学を学ぶ:現代を知るために」

著者八木透編

主題:「ユネスコ無形文化遺産の意義と課題」・「日本人の霊魂観と来世観」・「江戸時代の民間宗教者の実態」・「現代社会における〝家の意義」・「仏教民族学の可能性」の中から、具体的な課題をひとつ取りあげ、その内容について、各自の見解も交えながら論述せよ。


課題のひとつである「日本人の霊魂観と来世観」を論述する。


テキストP104にある「伝統的社会の霊魂観と来世観」「死後に認識される霊魂」の冒頭文「『死』は肉体からの魂の離脱として捉えられていた。霊肉二元論的認識である。」について取り上げてみた。私自身も幼い頃よりこのことが、真実かのような認識の元、育ってきた。大半の日本人は疑問も持たず、この霊肉二元論的認識を通常認識として、昭和を生きてきたと思う。この認識が、ご先祖様に通じる考え方でもあると思う。そして、そこから派生して、来世観に繋がっていったのではないか。

その文のあとに「古代において、霊が意識されるのは、凶事が起きた時であり、それは死者の怨念が引き起こしたものとして理解されていた。霊を鎮めるために、平安時代には御霊会が営まれた。もともと霊肉二元論的要素があるところに、江戸時代以降、寺院を介して仏教的霊肉二元論の観念が入り込んだために、霊の観念は複雑化したものと考えられる。」とあり、時代背景が記されている。古代においての怨霊の考え方は代替案の一つに過ぎないのではないかとの疑問が生まれる。何かの所為にするという考え方だ。

霊肉二元論を調べてみた。「実体二元論(じったいにげんろん、英: Substance dualism)とは、心身問題に関する形而上学的な立場のひとつで、この世界にはモノとココロという本質的に異なる独立した二つの実体がある、とする考え方。ここで言う実体とは他の何にも依らずそれだけで独立して存在しうるものの事を言い、つまりは脳が無くとも心はある、とする考え方を表す。ただ実体二元論という一つのはっきりとした理論があるわけではなく、一般に次の二つの特徴を併せ持つような考え方が実体二元論と呼ばれる。

この世界には、肉体や物質といった物理的実体とは別に、魂や霊魂、自我や精神、また時に意識、などと呼ばれる能動性を持った心的実体がある。そして心的な機能の一部(例えば思考や判断など)は物質とは別のこの心的実体が担っている。」(実体二元論=霊肉二元論、ウキペディア調べ)検証はできないものの形而上学の分野に分類されている。魂や霊魂が心としての捉え方なのだ。また、仏教的には「心身一如」心身は一体であるとする考え方のはず、神道の二元論と重なって神仏信仰になっている日本人の生死観に対する柔軟性が現れているのではないかと思う。

テキスト内「先祖観」の中には「来世観が不明確な中での遺体のこの世からあの世への即時移行は、霊も含めて死者のこの世からの追放を意図するものと考えられる。ただし、沖縄では『ニライカナイ』と呼ばれる『あの世』が明確に想定されている。」とある。また「『あの世の存在』との意識があるだけで、『先祖』というイメージは曖昧なものとなっている。」がしかし、人の死〜葬儀〜お別れ〜先祖〜そして生まれ変わり(輪廻転生)だと理解している私としたら、その間に生きる人々の別れに対する辛い思いから解放するための優しさか、次へ進むための現実性を推進するためにあの世とやらに置き換えて、一旦別れるという考え方に行き着いたのではないかと思う。何度か死を見てきた私として、あの人は、あの世で楽しく有意義にあの世を満喫しているはずと思いたい。そして、又会う日までと思いたい。こころを軽くする術として、あの世説が、生きている者のために存在させているのではと思う。先祖のイメージについては、数代前の人には現実性が高いので先祖的意識を持とうと思えば持てる。その前となると存在は、人間が生を受けることを鑑みれば自ずと理解はできる。しかし、現実性に欠けるのと現代においての法律、教育がそうさせるのだと思われる。

いわゆるどこかの宗教に偏ってはならないということの功罪から先祖的意識、霊魂観、来世観を持つことをためらわれるようになったと推測できる。

テキスト内P106〜の「火葬の受容」には「『条例による土葬禁止』『墓地が狭くなったこと』『衛生観念の発達』『古臭いという観念』『火葬場ができた』などである。」意外と理由が明確であると感じた。「火葬受容の葛藤」の中に「政治的な禁止は別にして、この世の側の都合や感覚によって葬法が選択されているということができる。」そして「葬法の相違と死生観との連関性の低さを示しているといえる。さらにこのことは、来世観が不明瞭であることを背景とすると考えられる。」やはり、沖縄のようにあの世が明確であれば良いのか?そこもまた、疑問ではある。そこで「ニライカナイ」を調べてみた「遥か遠い東(辰巳の方角)の海の彼方、または海の底、地の底にあるとされる異界。豊穣や生命の源であり、神界でもある。年初にはニライカナイから神がやってきて豊穣をもたらし、年末にまた帰るとされる。また、生者の魂もニライカナイより来て、死者の魂はニライカナイに去ると考えられている。琉球では死後7代して死者の魂は親族の守護神になるという考えが信仰されており、後生(ぐそー:あの世)であるニライカナイは、祖霊が守護神へと生まれ変わる場所、つまり祖霊神が生まれる場所でもあった。」(ウキペディア調べ)なるほど、これだけ明瞭に語りつがれれば、祖先観や霊魂観、来世観がしっかりと持てる。現実主義者には、ハテナがいっぱいになるだろうが。しかしながら、私が存在することは事実、私を母が産み、その母も祖母から産まれ、祖母も曽祖母から産まれた。遡ることが古代までできるのだ。あるかもしれないが、今のところ突然変異で人が誕生した記録はない。ということは人から人が誕生し、現世に繋がっているという事実。その事実の上に立つと来世があるというところに行き、あの世の存在感が増す。


平安時代には特に、霊魂に対する恐れが多く見られ、霊魂を鎮めるための祭事が沢山存在した。何かが起こると怨霊の所為にする。今の世の中にも何かの所為にして、縛りつけることもおきてはいる。成長が見られない気がして、残念だ。御霊は何もしない。神仏信仰からすれば、二元化ではあるが、心身だから元は人であるし、ブッダの教えによれば、先祖のカルマ消化もありえないのだ。ゆえに怖がることではない。恐れていては成長はない。それよりも感謝し、あなたがいたから、私が存在すると意味づけたい。そして、私の存在が次世代に繋げる。そもそも現代は自身が先祖になるという意識が薄いように感じる。次へ繋げる、次に繋がるからこそ、今世をつつがなく過ごそうとする正善的意識が働く、だからこそ生きていくためにも来世観が必要なのだ。


つまり霊魂観は人が人でなくなることではなく心(霊魂、魂)として残り、あの世(ある一定の場所)に一時的に拠る。来世観も同様、その場所からまた今世に現れ、誰かの身体と一体化する。この場は修行の場として、苦難、苦行を乗り越え、心を丸く丸く球体にする。その繰り返しを意識する事で魂に磨き(イメージの世界)この世界(地球)に戻ることなく、あの世の先(パラダイス)へ行かれるのだと思う。それが世に言う神的存在なのではと思う。人として産まれたブッダしかり、キリストしかり、サトリの領域へ至ったではないのか。

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