西洋占星学 -星脳®︎-

星脳®︎の暁瑠凪は、西洋占星学研究家として人生を星よみの研究、実践、鍛錬の日々を繰り返して参りました。

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2022年11月9日水曜日

<お言葉 -先人の知恵->7



「気づきパルフェ通信」vol.43. 22/11/9()

いつもの皆さま、はじめましての方々、暁 瑠凪(あかつき るな)です。"少しだけ"ためになる配信を毎日させていただきます。どなたかに届きましたら、幸いです

*パルフェ()とは 完全な、申し分のないという意味。


こちらでは、先人の方々の素晴らしいお言葉を紹介します。


それでは本題に。

<お言葉 -先人の知恵->7


惜しんでわずかに種をまくものはわずかに

刈り取るしか出来ない。

惜しまず豊かに種をまくものは豊かに

刈り取ることが出来る。


byコリント人への第二の手紙 96節より


《暁なりの感想》

現代に当てはめると時間も労力もお金もかければ、それ相応の結果がついてくると言うこと。愛も与えなければ、得られない


お金がなければ知恵と努力で、時間がなければ誰かの力を、労力を惜しむことなく、なにか大きい産物を手に入れるには、まずは代償が必要だと言うことですね。


自分の力を信じ、未来を夢見て、惜しまず蒔いてみましょう!!よろしければ、ご一緒に


本日はここまで。

また遊びにいらしてくださいね。


占星学研究家 暁 瑠凪


「先人のお言葉」は水曜日に更新いたしま

す。


# #るな #占い #占星学 #原宿占い #大学 #個人事業主 #原宿 #東京 #mtg #アーカイブ#zoom #マンツーマン #講座 #古くて新しい #星からのメッセージ #OneSpirit #気づきのパルフェ

2022年11月8日火曜日

挑戦〆リポート〆(12)



挑戦〆リポート〆(12)


【京都の歴史と文化】設問1

書籍名「京のまつりと祈り〜みやこの四季をめぐる民俗」著者:八木 

主題:日本一の都市祭礼である祇園祭の意義と祭りの楽しみ方


祇園祭は都市祭礼である。日本一の都市祭礼であることは間違いない。


そこで改めて、祭を調べてみると

「祭(まつり)とは、感謝や祈り、慰霊のために神仏および祖先をまつる行為(儀式)である。供物そのほかが捧げられる。祭祀(さいし)、祭礼(さいれい)、祭儀(さいぎ)。また、まつりの漢字の表記(祀り・祭り・奉り・政りなど)によって、用途や意味合いが少し異なってくる。」(ウキペディア調べ)とある。


そもそも、日本人にとって祭りとは何か。上記の記述もそうだが、四季を感じる心と周囲との絆を深め、団結力を養う行事なのではないか。先人の行いを素直に受け継ぐだけではない。自然の脅威から身を守るための神事だけでもない。たしかに疫病などの被害にあわないことを願い、先人を見習い、祈りや慰霊を行う。夏に疫病が流行することを踏まえ、日本の夏祭りに疫病退散を目的としたものが多い。疫病退散が中心ではあるが、虫送り、台風除けなども見られる。しかしながら、町衆にとって特別なリクレーション、楽しみであったのではないか。でなければ、何千年も何百年も町衆のモチベーションが持つとは思えない。

その祭礼の中でも、今回学んだ、都市祭礼が「祇園祭」だ。その歴史はレジェンド級に長く、脈々と町に受け継がれている。その歴史の長さは、地元のプライドをかけた熱い思いと努力の賜物だと知った。関わる衆方の情熱が、祭りを唯一無二の祭りへと昇華させたのだ。だからこそ、この「祇園祭」は、日本三大祭りの筆頭なのだ。あとは、東京の「神田祭り」、大阪の「天神祭」だ。また、実際に京都と交易が深かった都市は、同じように疫病に苦しめられたことから、「祇園祭」をまねて、独自の祭りを作り上げたとある。

日本には四季があり、人々の暮らしと共に自然がある。昔の祭りの役目は、地域が平和で健康に過ごせるためが強かった。しかしながら、世の中が成熟するにつれ、楽しむという娯楽感が出て来たのではないか。もう一歩進むと「祇園祭」のような都市祭礼では、観光資源としての役割が大きくなる。祭を継承するという強い思いの地域住民と県や市の公共的思惑が「祇園祭」を挟んで一致し、 細かい思いの違いはあるものの、京都独特のグレーゾーン的折り合いをつけて、成長している祭の成功例といえる。数字を見ても日本一に相応しい、都市祭礼なのだ。どの角度から分析しても、規模、歴史ともに素晴らしい世界に誇れる祭礼、風流なのだと思う。


先祖より受け継がれる神事と観光資源的要素、守るところは守られ、合理的に変容すべきところは変容し、今後、町衆、学生だけでなく、京都にご縁が出来た者も取り込み、男女差も乗り越えて、発展していくことは間違いないだろう。


先生も再三おっしゃったように、祭りを楽しみたかったら、祭りの意味、由来を知り、現場に行き、参加する。何のための祭りなのか、何を祈願するものなのか、といった祭りを知ることで、より深く理解でき、実際に目にした時の感動はひとしおだろう。

恒例行事とし、ポイントを決めて参加したいものだ。違いを見つけるのも悪くない。違いがない祭りの凄さもある。テーマを決め、参加し、装束、かけ声やお囃子の風流を楽しむのだ。

事前準備を怠らなければ、楽しめるはずだ。


「祇園祭」もそうだが、祭り自体は地域の絆を深め、人との結びつきを強くする。やはり日本人にとってなくてはならない心のよりどころだ。実際に祭りに参加したり、楽しんでいる人と触れ合うことは、日本人が大切にしてきたものを理解することにつながる。海外の方も日本文化に触れ、理解するため、訪れてくれる。だからこそ、日本人も大いに祭りを楽しんで欲しいと思う。


#佛教 #論文 #民俗学 #佛教大学 #教授面談 #リポート

目標設定の指針7 「共同体の2」



「気づきパルフェ通信」vol42. 22/11/8()

いつもの皆さま、はじめましての方々、暁 瑠凪(あかつき るな)です。"少しだけ"ためになる配信を毎日させていただきます。どなたかに届きましたら、幸いです

*パルフェ()とは 完全な、申し分のないという意味。


こちらでは「目標設定の指針」を紹介します。


それでは本題に。


 目標設定の指針7 「共同体の2」


 共同体の最大の武器、相乗効果を狙え!


 今回も、

 共同体のお話していきますね(^_-)-☆


  相 乗 効 果

  相乗効果は1+1を11にする

  「共 同 作 業」(_)

  自己実現の為には

  そして、成功するためには

  共同体の最大の武器、

  相乗効果を狙え!!なのです

  心に刻みましょう!(^^)!


  そしてまた、近道を見つけましょ (p_-)

  まあ、お 試 し あ れ 

 一つ一つを生かし

   自分も活かしていくことで

  自分らしく生きることが出来るのです。


本日はここまで。

また遊びにいらしてくださいね。


占星学研究家 暁 瑠凪


講座などの講師を目指している方向けに老婆心ながらお伝えしたい「目標設定の指針」は火曜日に更新いたします。


# #るな #占い #占星学 #原宿占い #大学 #個人事業主 #原宿 #東京 #mtg #アーカイブ#zoom #マンツーマン #講座 #古くて新しい #星からのメッセージ #OneSpirit #気づきのパルフェ

2022年11月7日月曜日

挑戦〆リポート〆(11)



挑戦〆リポート〆(11)


【民俗学】設題1

書籍名:「新・民俗学を学ぶ:現代を知るために」著者八木透編

主題:「ユネスコ無形文化遺産の意義と課題」・「日本人の霊魂観と来世観」・「江戸時代の民間宗教者の実態」・「現代社会における〝家の意義」・「仏教民族学の可能性」の中から、具体的な課題をひとつ取りあげ、その内容について、各自の見解も交えながら論述せよ。


課題のひとつである「日本人の霊魂観と来世観」を論述する。


テキストP104にある「伝統的社会の霊魂観と来世観」「死後に認識される霊魂」の冒頭文「『死』は肉体からの魂の離脱として捉えられていた。霊肉二元論的認識である。」について取り上げてみた。私自身も幼い頃よりこのことが、真実かのような認識の元、育ってきた。大半の日本人は疑問も持たず、この霊肉二元論的認識を通常認識として、昭和を生きてきたと思う。この認識が、ご先祖様に通じる考え方でもあると思う。そして、そこから派生して、来世観に繋がっていったのではないか。

その文のあとに「古代において、霊が意識されるのは、凶事が起きた時であり、それは死者の怨念が引き起こしたものとして理解されていた。霊を鎮めるために、平安時代には御霊会が営まれた。もともと霊肉二元論的要素があるところに、江戸時代以降、寺院を介して仏教的霊肉二元論の観念が入り込んだために、霊の観念は複雑化したものと考えられる。」とあり、時代背景が記されている。古代においての怨霊の考え方は代替案の一つに過ぎないのではないかとの疑問が生まれる。何かの所為にするという考え方だ。

霊肉二元論を調べてみた。「実体二元論(じったいにげんろん、英: Substance dualism)とは、心身問題に関する形而上学的な立場のひとつで、この世界にはモノとココロという本質的に異なる独立した二つの実体がある、とする考え方。ここで言う実体とは他の何にも依らずそれだけで独立して存在しうるものの事を言い、つまりは脳が無くとも心はある、とする考え方を表す。ただ実体二元論という一つのはっきりとした理論があるわけではなく、一般に次の二つの特徴を併せ持つような考え方が実体二元論と呼ばれる。

この世界には、肉体や物質といった物理的実体とは別に、魂や霊魂、自我や精神、また時に意識、などと呼ばれる能動性を持った心的実体がある。そして心的な機能の一部(例えば思考や判断など)は物質とは別のこの心的実体が担っている。」(実体二元論=霊肉二元論、ウキペディア調べ)検証はできないものの形而上学の分野に分類されている。魂や霊魂が心としての捉え方なのだ。また、仏教的には「心身一如」心身は一体であるとする考え方のはず、神道の二元論と重なって神仏信仰になっている日本人の生死観に対する柔軟性が現れているのではないかと思う。

テキスト内「先祖観」の中には「来世観が不明確な中での遺体のこの世からあの世への即時移行は、霊も含めて死者のこの世からの追放を意図するものと考えられる。ただし、沖縄では『ニライカナイ』と呼ばれる『あの世』が明確に想定されている。」とある。また「『あの世の存在』との意識があるだけで、『先祖』というイメージは曖昧なものとなっている。」がしかし、人の死〜葬儀〜お別れ〜先祖〜そして生まれ変わり(輪廻転生)だと理解している私としたら、その間に生きる人々の別れに対する辛い思いから解放するための優しさか、次へ進むための現実性を推進するためにあの世とやらに置き換えて、一旦別れるという考え方に行き着いたのではないかと思う。何度か死を見てきた私として、あの人は、あの世で楽しく有意義にあの世を満喫しているはずと思いたい。そして、又会う日までと思いたい。こころを軽くする術として、あの世説が、生きている者のために存在させているのではと思う。先祖のイメージについては、数代前の人には現実性が高いので先祖的意識を持とうと思えば持てる。その前となると存在は、人間が生を受けることを鑑みれば自ずと理解はできる。しかし、現実性に欠けるのと現代においての法律、教育がそうさせるのだと思われる。

いわゆるどこかの宗教に偏ってはならないということの功罪から先祖的意識、霊魂観、来世観を持つことをためらわれるようになったと推測できる。

テキスト内P106〜の「火葬の受容」には「『条例による土葬禁止』『墓地が狭くなったこと』『衛生観念の発達』『古臭いという観念』『火葬場ができた』などである。」意外と理由が明確であると感じた。「火葬受容の葛藤」の中に「政治的な禁止は別にして、この世の側の都合や感覚によって葬法が選択されているということができる。」そして「葬法の相違と死生観との連関性の低さを示しているといえる。さらにこのことは、来世観が不明瞭であることを背景とすると考えられる。」やはり、沖縄のようにあの世が明確であれば良いのか?そこもまた、疑問ではある。そこで「ニライカナイ」を調べてみた「遥か遠い東(辰巳の方角)の海の彼方、または海の底、地の底にあるとされる異界。豊穣や生命の源であり、神界でもある。年初にはニライカナイから神がやってきて豊穣をもたらし、年末にまた帰るとされる。また、生者の魂もニライカナイより来て、死者の魂はニライカナイに去ると考えられている。琉球では死後7代して死者の魂は親族の守護神になるという考えが信仰されており、後生(ぐそー:あの世)であるニライカナイは、祖霊が守護神へと生まれ変わる場所、つまり祖霊神が生まれる場所でもあった。」(ウキペディア調べ)なるほど、これだけ明瞭に語りつがれれば、祖先観や霊魂観、来世観がしっかりと持てる。現実主義者には、ハテナがいっぱいになるだろうが。しかしながら、私が存在することは事実、私を母が産み、その母も祖母から産まれ、祖母も曽祖母から産まれた。遡ることが古代までできるのだ。あるかもしれないが、今のところ突然変異で人が誕生した記録はない。ということは人から人が誕生し、現世に繋がっているという事実。その事実の上に立つと来世があるというところに行き、あの世の存在感が増す。


(結論)

平安時代には特に、霊魂に対する恐れが多く見られ、霊魂を鎮めるための祭事が沢山存在した。何かが起こると怨霊の所為にする。今の世の中にも何かの所為にして、縛りつけることもおきてはいる。成長が見られない気がして、残念だ。御霊は何もしない。神仏信仰からすれば、二元化ではあるが、心身だから元は人であるし、ブッダの教えによれば、先祖のカルマ消化もありえないのだ。ゆえに怖がることではない。恐れていては成長はない。それよりも感謝し、あなたがいたから、私が存在すると意味づけたい。そして、私の存在が次世代に繋げる。そもそも現代は自身が先祖になるという意識が薄いように感じる。次へ繋げる、次に繋がるからこそ、今世をつつがなく過ごそうとする正善的意識が働く、だからこそ生きていくためにも来世観が必要なのだ。


つまり霊魂観は人が人でなくなることではなく心(霊魂、魂)として残り、あの世(ある一定の場所)に一時的に拠る。来世観も同様、その場所からまた今世に現れ、誰かの身体と一体化する。この場は修行の場として、苦難、苦行を乗り越え、心を丸く丸く球体にする。その繰り返しを意識する事で魂に磨き(イメージの世界)この世界(地球)に戻ることなく、あの世の先(パラダイス)へ行かれるのだと思う。それが世に言う神的存在なのではと思う。人として産まれたブッダしかり、キリストしかり、サトリの領域へ至ったではないのか。


#佛教 #論文 #民俗学 #佛教大学 #教授面談 #リポート

<今日はなんの日?解説ver.>2022年



「気づきパルフェ通信」vol.41. 22/11/7()

いつもの皆さま、はじめましての方々、暁 瑠凪(あかつき るな)です。"少しだけ"ためになる配信を毎日させていただきます。どなたかに届きましたら、幸いです

*パルフェ()とは 完全な、申し分のないという意味。


こちらでは今日はなんの日?を紹介します。


それでは本題に。


<今日はなんの日?解説ver.2022


117日 立冬(二十四節気)


「立冬(りっとう)」は、「二十四節気」の一つで第19番目にあたる。現在広まっている定気法では太陽黄経が225度のときで117日頃。

「立冬」の日付は、近年では117日または118日であり、年によって異なる。2022年(令和4年)は117日(月)である。

「立冬」の一つ前の節気は「霜降」(1023日頃)、一つ後の節気は「小雪」(1122日頃)。「立冬」には期間としての意味もあり、この日から、次の節気の「小雪」前日までである。

秋が極まりの気配がち始める頃なので「立冬」とされる。この頃は太陽の光が弱くなり、朝夕など冷え込む日が増える。江戸時代の暦の解説書『こよみ便覧(べんらん)』では「冬の気立ち始めて、いよいよ冷ゆれば也」と説明している。言い換えれば秋の極みとも言え、実際、多くの地域ではまだ秋らしい気配が残り、紅葉の見時でもある。

秋分」(923日頃)と「冬至」(1222日頃)の中間で、昼夜の長短を基準に季節を区分する場合、この日から「立春」(24日頃)の前日までが「冬」となる。北国や高地では初冠雪の知らせが届く頃でもある。季語には「冬立つ」「冬入る」「冬来たる」などを用いる。


本日はここまで。

また遊びにいらしてくださいね。


占星学研究家 暁 瑠凪


「今日はなんの日?」は月曜日に更新いたします。


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