【心理学】設題2
書籍:「心の理解を求めて」
著者:橋本 憲尚
主題:多数者への同調や権威者への服従はどのようになされるか解説しなさい。
多数者への同調はどのようになされるかについて述べていく。
1.P171「多数者の同調」のところに「それぞれの集団には特有のルールや行動様式、価値観がある。」「なかには規範を受け入れないメンバーもいる。そうした逸脱者に対して、一致への圧力や集団からの排斥という形で、多数者の力が行使される。」とある。たしかに、多かれ少なかれ、集団の中にこのような現実や空気感があることは否めない。良くも悪くもこの価値観を共有して、溶け込めた、または溶け込めると思えるところがある。そのリーダーのメンバー への対応とリーダーとの相性もあるだろう。
2.「アッシュ(1951)は、多数者の意見が個人の判断を歪曲する。」実験を踏まえると「他のみんなが一致している中で自分だけ異なった意見を主張し続けることはかなり困難であろう。」とある。実験も物語るように、自分が間違っていると思う。よほど確信があることであれば、貫くことが出来ても、目で見ても、知らないことであれば、自分を疑ってしまう。その対応は難しい。
3.「多数者への同調の背後にある心理は一様ではない。」「自分に確信がもてないときに、他者を参考にして自分の意見や行動を変容することがある。」「判断が困難であり、確信がもちにくいときほど同調が起きやすい。」「人はまた力を感じるためにその人たちを模倣する結果として同調する場合もある。」「異質な者として孤立してしまう恐怖から多数者へ同調したり、嘲笑や避難を恐れて追従する場合もある。」「集団に所属することが自分にとって重要である(得をする、魅力がある、他に行き場がないなど)ほど同調は起きやすい。」とある。確かに得だと思えることがあれば、そうなる。孤独感が人を不安にさせる。あの人のそば、もしくは傘の下に入れば、安心、安全だと思える。難しすぎて自己判断は不可能だと思い、責任転嫁したい。など理由は多種多様だ。
集団でいじめをするような「P110攻撃行動は、所属する集団の規範に同調する行動」とある。決まりを守れないものは悪だ、という意外と真面目さがそうさせることがある。グループ、集団の規律を守る為に動いて、成功をおさめているとしたら、なおさらだろう。人は時として、変化、変容を受け入れ、または嫌うところもある。変えてしまいそうな異分子のエネルギーを拒否したいという願望から行われることもある。しかしながらどちらにしても、人が人を傷つける行為はおきてはならないことだ。
次に権威者への服従はどのようになされるかについて述べていく。
1.P174〜「権威者への服従」のところに「代理状態とは、人が自分自身を『他人の要望を遂行する代理人』とみなす状態である。」「代理状態になると、自分の行為に対する責任を感じなくなる。また、権威者による行為の意味づけを受け入れる。」「『権威者に従うこと』が守るべきモラルとなった」守るべきモラルを遂行するという旗印、しかも無責任になれる感覚。これにより、服従が始まる。また、威を借る狐的心情もあると思う。
2.「ミルグラム実験は」「一般の人たちにみられるという『悪の平凡さ』を示すものとして衝撃を与えた。」とある。また「仲間がいれば服従は劇的に減少した。」服従に対し、逆らう行為は、仲間がいれば出来るということだ。古くは、百姓一揆のようなことなのだろう。
3.「竹村・高木(1988)は、中学生を対象にした調査から、いじめを見て見ぬふりをしている傍観者が加害者や周りで面白がっている観衆にどう反応するかで、いじめが助長されるか抑止されるかが左右される可能性を指摘している。多数者に対しても権威者に対してもたとえ少数であっても仲間とともに抵抗すれば影響力を発揮できるという知見を生かすことはできないものだろうか。」とある。ここにいじめを防ぐ手立てが詰まっている。こういった心理の流れをレクチャーするべきだ。
この課題を通してみつけた危惧
1.価値観共有を得られるものと得られないものとの差がある弊害。
価値観は千差万別。共感性の低い者は、中々共有できにくい。学校であれ、仕事であれ、知らん顔をするわけには行かず、団体行動を強いられる。団体行動が苦手な者もおり、そこに軋轢が生まれる。自分の行動に自信が持てる間は、上手くかいくぐれる。しかし、幼稚園〜高校生までの長きに渡り、置かれる立場、状況を考えるとそうもいかない。そこで、多数決に屈することを覚えねばならないのだ。個性という名の厄介な宝物だ。個性を重んじる学社も増えてきているようなので今後に期待する。
2.自己評価の低さからくる自信が持てないという弊害。
文字通り自分への信頼度が低い者がいる。残念なことだが、現実だ。多くは環境によるものが多く感じる。選択の余地のない環境をどう生き、自分の立ち位置を確立して行くかが、大切だ。
3.欲をかくときに生まれる弊害。
人の欲とは、際限がない。一つ得られるとまた一つと動いてしまう。貪欲さを持つことから多く見られる、やる気だけではない得をしたい、得になるならという思い。この根底には、自信の欠如から来る不安解消の可能性がある。欲は多少あった方が良いが、足るを知ることも大切だ。
4.責任逃れからくる責任転嫁の弊害。
みんなで渡れば怖くない。に表される集団心理。言い出しっぺにならないよう空気を読む。自信のなさからくるのだろう。自信が持てる何かを持つことですべてのスキルが上がる。
5.変容からくる恐怖心の弊害。
いままでうまく流れていたのを変えられてしまう恐怖。もっと効率的にもっと合理的になるだろうことはわかっていても失敗の恐れから変えられない。想像力の欠如も考えられる。良いイメージをつくり、恐怖心を取り除き、挑戦する勇気を持つ。
6.皆がやるから安心という集団心理から来る無責任感の弊害。
知らないふりをする、みんなが右に流れたから自分の意思とは別に右に流れる。自分発信ではないから何か起きても自分は責任を取らなくてすむ。そんな考えの中、次におきるのは罪の意識か、後悔か。自分の意見が言えるようになれば、人としての対応力が上がると思う。
7.真面目さ、規律正しさから来る善悪の判断基準のブレの弊害。
真面目さ、正しさばかりに目をやり、本来のあるべき姿を忘れてしまう規律はいかがなものか。頭を硬くせず、柔軟対応に変えることが重要。
心理学は学問であるが、教育学などと合体して、一般常識としてもっとひろまることが望ましい。心理構造がわかれば、集団心理の解明や心の有り様に役立つ。とはいえ、心理学を知らないとした人が少なくなり、教育者も学んでいながら、それでもいじめ、服従などは消滅することはなく、今日もどこかには存在している。いじめ、服従がそこまで、みなを無感覚にしている理由は、保身が正義の条件を無視しているからなのではないか。保身が悪いことではないが、無感覚になるほど、追い込んでいる、逆に苦しみを生むように思える。
つまり同調、服従は、集団心理が他者への無感覚を生み、悪を享受することになり、過剰な保身が、人の弱さを最大にした心理状態なのである。ここを打破するには、一人一人が、学びの意識を持ち、必要とあらば心理学の学びを取り入れたい。その環境をつくるには、心理学の社会的認知と正しい評価が必須なのかもしれない。
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