西洋占星学 -星脳®︎-

星脳®︎の暁瑠凪は、西洋占星学研究家として人生を星よみの研究、実践、鍛錬の日々を繰り返して参りました。

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2019年12月31日火曜日

【2020/1月前半スケジュール】

旧年中は大変お世話になりました。今後ともよろしくお願いいたします。暁の1月前半です。新たなる船出のときが参りました。少し張り切ります^ ^ 良い年にいたしましょうネ。


2020/1月前半スケジュール】


1/1水曜 大分〜羽田到着

1/2木曜〜5日曜 リポート提出

1/4土曜〜5日曜 科目最終試験

1/4土曜【しごとはじめ】1121 原宿占い館「塔里木タリム」出演(ヴェルニlog in)

1/5日曜 1121 原宿占い館「塔里木タリム」出演(ヴェルニlog in)

1/6月曜 13時〜竹橋「東京毎日文化センター」タロット講座、15時〜西洋占星学講座、16:30〜竹橋組新年会

1/8水曜 1121 原宿占い館「塔里木タリム」出演(ヴェルニlog in)

1/9木曜 1121 原宿占い館「塔里木タリム」出演(ヴェルニlog in)

1/10金曜 1121 原宿占い館「塔里木タリム」出演(ヴェルニlog in)

1/11土曜 11時〜個人レッスン@横浜

1/12日曜 1113:30心カフェ@蓮沼、15時〜馬車道

115水曜 1121 原宿占い館「塔里木タリム」出演(ヴェルニlog in)

2019年12月30日月曜日

[満了]【竹橋・全6回】西洋占星の極意 星占いの基礎知識講座3days & 徹底的に星で調べる3days

【竹橋・全6回】西洋占星の極意 星占いの基礎知識講座3days & 徹底的に星で調べる3days
体験や見学、途中入会も大歓迎

知りたくないですか?
あなたのこと、あの人のこと、世の中のこと…。

まずは「星占いの基礎知識講座3days」で占いの基礎知識を学習しながら、いままであった占いに対する疑問を解決します。沢山質問して学習しながら、星の知識を身につけましょう。

次に「徹底的に星で調べる3days」自分たちで占うように調べ、あなたの、あの人の強み・弱点などを知りましょう。あなたの、あの人の扱い方が変わります。一歩進むと世の中の流れを覗くことが出来ます。

人生のステップアップに役立つ全6回の講座です。
※本講座に興味をお持ちの方は、体験や見学を承ります。体験や見学のお申し込みはこちらからお願いいたします。

西洋占星の極意

講座
内容
  • 星占いの基礎知識講座3days
  • 徹底的に星で調べる3days
対象者
  • 人生のステップアップに役立てたい方
  • 未経験者
  • 占い初心者の方
  • 1から学び直したい方すべて
開催

全6回
第1・第3月曜日 15:00~16:10
2023年9月4日~2024年1月15日(9/4、10/2・16、11/6、12/18、1/15)

受講料
  • 受講料 6回分18,480円(税込)
    ※別途、設備使用料900円(税込・6回分)がかかります。
  • 教材費 テキスト『ASTROLOGY』2,200円(税込)

※教材費は初回に先生にお支払いください。

持ち物
  • タロットカード(※各自でご購入ください)
    ※推奨は「ライダースタンダードタロットカード
    3,300円(税込)
  • 筆記用具
会場

毎日文化センター

〒100-0003 東京都千代田区一ツ橋1‐1‐1 パレスサイドビル(毎日新聞社ビル)1階

交通のご案内

  • 地下鉄東西線『竹橋駅』を下車後、1b出口より徒歩1分
  • 地下鉄『九段下駅』を下車後、4番出口より徒歩8分
  • 都営三田線『神保町駅』を下車後、A8番出口より徒歩5分

本講座は終了いたしました。

本講座は、2024年1月15日(月)の開催を最後に、終了いたしました。現在はオンライン受講もご用意しておりますので、よろしければご覧ください。

2019年12月27日金曜日

暁の挑戦〜大学1-13〜

【教育学】設題1

書籍名「教育学への誘い」

編著者:山崎高哉

主題「教育」を表す言葉(漢語・邦語・英語)の語源のうち最も興味をもったものを一つ選び、それと関連させて、あなたの教育観を述べなさい。


邦語における「をしふ」「そだつ」の語義と自らの教育観を重ねてみた。


邦語の語義である「をしふ」は「ヲシム」で愛に通じる、「そだつ」は「スダツ」=巣立つ由来の「教育」とテキストP6にあり、そう理解した。このような意味付けにすると「教育」とはあまりにも綺麗ごと過ぎではないのか?愛を掲げるのは、言うは易し、行い難しなのではないか?との疑問が出る。


それにもかかわらず、邦語の語義に興味をもったのはなぜなのだろうか?


そこで、興味をもった理由について考察し、述べていこうと思う。


手始めに漢字の教育の語義、英語の教育の語義、邦語の語義がどうなのか理解し、それぞれを比べてみた。


    テキストP5にある漢字における「教育」は「生まれた子どもを育て、その子どもが学ぶべきことを教える」となっている。素晴らしいし、ごもっともであるものの邦語の語義と比較すると平凡さを感じる。興味を持つところまでいかない。

    テキストP5にある漢字における「教育」は、当初「親と子の間」でというのが中心であったとされ、その後、孟子の書物により、第三者が関わり、英才教育のような表現がなされているとある。狭い空間から広い空間へ変化していったと言うことは理解出来る。漢字における「教育」とテキストP6にある邦語における「教育」を比較すると次の部分にあげる意味に興味を持ち、惹かれる。「教えることが人間の『愛惜する情』を基盤とする」という部分だ。

テキストP7にある英語における「教育」は「養い育てる過程」、「しつける過程」「組織的な教授、学校教育、訓練」「能力の開発ないし発展、性格の形成」とある。まったくもって然りである。だが、個人の尊厳、人の感情に対して、意味合いが希薄だ。英語における「教育」とテキストP6にある邦語における「教育」を比較するとやはりあの一文「教えることが人間の『愛惜する情』を基盤とする」という説明に惹かれる。

    テキストP6にある邦語の「教育」の「教えることが人間の『愛惜する情』を基盤とすると同時に、親や大人が愛情をもって子どもに生命を守る手段から様々な知識・技能、人間としてふさわしい行動・態度・生き方に至りまで、しかも『要点をおさえて』教授・指導・訓戒するという意味」に共感を覚えるのだ。心にズシンとくる表現である。そこで、「愛惜の情」の意味を調べてみた。「人や物を愛しく感じ、大切にすることを意味する語。」(webio調べ)とある。その意味も踏まえて、再度熟読すると綺麗事ではない内容であると理解できた。愛ありきの内容だ。言葉だけでは到底叶わない素晴らしい内容であった。綺麗事と解釈した事を反省せざる得ない。

    テキストP7にあるように教育の捉え方も「『教える』ことと『育てる』ことは不可分に結びついてる」とある。それはもともと「育てる」が両方の意味を併せ持つからだとある。育てることは教えること、このことを子育てと考えれば、納得がいく。経験値からも言える。また、興味を持った大きな理由のひとつ、テキストP7にある「育てられる者と育てる者との共同の営為であるのみならず、育ち、育てられるに値する何らかの価値・規範が目的として存在している」とあるところだ。受けとる側と授ける側との方向性が同じであれば「教育」の成果が出やすいのだろう。

教育の成果を調べてみると「思考力、判断力、表現力等に関する評価の工夫」、「関心・意欲・態度や道徳的心情・実践力等に関する評価の工夫」とあった。(文部科学省配布資料より)教育=成果ではないものの逆引き的方法で調べてみると本質が見えてくると思った。思考力、判断力、表現力等は、個人の素質にもよりバラツキはあるが、価値といわれる部分なのだ。関心・意欲・態度や道徳的心情・実践力等が、規範にあたると思われる。共同的に教育を進めることが必要なのだ。成果主義に陥ることなくだ。

そして「本来みづから成長する素質をもったものに対する助成的なはたらき」ということは生まれながらの素質、素材を生かして生きていかれるということが前提なのだと理解でき、生まれたことの意義に繋がると解釈できる。私自身が仕事をしていく上で目標とする境地と重なった。また、テキスト中、4ページと少ないページ数ではあるものの凝縮された「教育」が邦語の語義の中で生き生きと表現されている。人が生まれ、生きていく上で、真の「教育」はこうあり、こうあれなのだ。

テキストP9にある「教育とは、意図的、計画的な『文化化』への援助」とある。また、P11には、社会化と教育の作用について「常に両方の可能性が存在しているのが現実である。」とある。文化化と社会化が、教育のキーワードなのだ。そして、P13の「人格化への方向づけの援助」も必要だ。選択の自由と批判の能力、自発性や自律性、責任を自覚することもあげられる。なによりP15の「学習が成立するように支援する『学習への援助』が『教育』」そのものなのだ。P1617に発達の概念として①成長・成熟②適応③社会化・文化化④人格化⑤自己形成・自己実現があげられている。P23に凝縮された教育とはの文章「人間らしく生き抜くために生涯にわたって努力し続けるようにさせる社会的行為である」とあった。

個性尊重、個性重視が重要であるとされる、テキストP4158にその重要性がとかれている。そもそもの個性を把握し、発達させ、許容し、尊重する。許容することが尊重になるとある。また、テキストP5977の中で「生きる力」をつけることも「教育」が目指す目標として掲げている。家庭、学校、教育関係、対人援助、情報化社会、国際化、価値観、環境、テキスト第3編にある「現代における教育学の課題」の中に綴られている。その内容が日常的教育を浮き彫りにしている。ひとつ、ひとつが「教育」における課題なのだ。教える側は教えること(課題)に愛情を持っていることが、必要だ。共同意識を持ち、課題に向かい、先人の教え・知識を活用し、感謝して臨むことが重要だ。人は皆、存在することに意味があると思わせてくれる「教育」が求められ、目指すめあてなのだと思う

私の「教育観」をまとめてみた。社会に出ても生きて抜くスキル(人間関係の技術も含む)と社会に役に立つ人材になること、そして、人として最低限度の情動を具備させることだ。「教育」は愛惜を持った指導者と成長することを望んでいる学ぶ者との共同の営為なのである。ゆえにどちらかの独りよがりではなりたたないものであるとテキストで理解し、テキストP6にある邦語の「教育」の「教えることが人間の『愛惜する情』を基盤とすると同時に、親や大人が愛情をもって子どもに生命を守る手段から様々な知識・技能、人間としてふさわしい行動・態度・生き方に至るまで、しかも『要点をおさえて』教授・指導・訓戒するという意味」とあるところから、前述のような「教育観」が明確となった。

2019年12月14日土曜日

【2019/12月後半スケジュール】


こんばんは、暁です。12 月後半です、良い年をお迎えください♪


2019/12月前半スケジュール】

12/16月曜 13時〜竹橋「東京毎日文化センター」タロット講座、15時〜西洋占星学講座、18:30〜本厚木

12/17火曜 1315HARA塾「環(くるり)」プロコース、1921@原宿

12/18水曜 1121 原宿占い館「塔里木タリム」出演(ヴェルニlog in)

12/19木曜 1121 原宿占い館「塔里木タリム」出演(ヴェルニlog in)

12/20金曜 1121 原宿占い館「塔里木タリム」出演(ヴェルニlog in)

12/21土曜 AM京都へ移動、21日土曜〜24火曜 冬期スクーリング

12/24火曜 AM京都〜新横浜、17時〜ミク役員会、18:30〜打合せ

12/25水曜 1121 原宿占い館「塔里木タリム」出演(ヴェルニlog in)

12/26木曜 1121 原宿占い館「塔里木タリム」出演(ヴェルニlog in)

12/27金曜 1121 原宿占い館「塔里木タリム」出演(ヴェルニlog in)

12/28土曜 1116 ミクセリア代行出演@渋谷モディ

12/29日曜〜20201/1水曜  フィールドワーク@大分県

2019年12月12日木曜日

暁の挑戦〜大学1-12〜

【日本の歴史】設題

書籍名「概論 日本歴史」

編者:佐々木潤之介、佐藤 信、中島三千男、藤田 覚、外園豊基、渡辺隆喜


主題:鎌倉幕府と執権政治について


まずは設問1.をうけて、〈執権〉を調べてみた。「執権は、鎌倉幕府の職名。鎌倉殿を助け、政務を統轄した。元来は、政所の別当の中心となるものの呼称であった。」とある。鎌倉幕府独自の職だったのだ。

「執権職は北条氏が独占し、世襲した。当初から大きな勢力を持っていたが、三代将軍源実朝暗殺後はほとんど幕府の実権を掌握し、政務を執った。しかしながら将軍職は公家や皇族を京から迎える形で名目的存在としてあり、北条氏は形式的服従を貫いていた。」北条氏の権力はこうして、定着していったのかと過程が解った。

「北条氏の嫡流は『得宗家』と称され、得宗家の当主またはその後継者が幼少の時には北条氏の庶流から執権が任じられた。元弘の乱の最終段階(鎌倉の戦い・東勝寺合戦)において、13代基時・14代高時(得宗家)・15代貞顕・16

守時の4名の執権(及び経験者)が鎌倉幕府とともに滅ぼされることになった。初代の『執権』は、1203年(建仁3年)に北条時政が外孫である3代将軍源実朝を擁立した際に政所別当とともに合わせて任じられたのが最初とされている(異説として、初代政所別当である大江広元を初代執権とする説もあるが少数説である。また後述のように北条泰時の時代に初めて登場した説もある)。時政の就任以来、北条氏の権力確立の足場となる。2代執権の北条義時が侍所の別当を兼ねてからは、事実上、幕府の最高の職となった。基本的に鎌倉幕府は、鎌倉殿と御家人の主従関係で成り立っており、北条氏も御家人のひとつに過ぎなかった。」御家人の立場から執権職という地位までに登っていった北条時政の人物像はいかなるものか。

時政は平家ゆかりのものであるが、頼朝の見張り役になったことで頼朝の舅となる。鉢田の戦い、富士川の戦いに挙兵した。その後は御家人としての時政がいた。亀の前事件で空白の期間

があるものの治承・寿永の乱が終結した際、政治力により、京都守護の立場得て、手腕を発揮する。七ヶ国地頭を譲り、駿河守護として活動していた。しかし、義時との対立を深め、時政と政子・義時らの政治的対立も背景にあったからと推測され、以後の時政は二度と表舞台に立つことなく政治生命を終えた。

その後「源氏将軍が3代の源実朝で途絶えてからは、摂関家、皇族から名目上の鎌倉殿を迎え、その下で執権が幕府の事実上の最高責任者となる体制となった。しかし、政敵となる有力御家人を次々と滅ぼし、また執権以外の幕府の要職の多くを北条氏が独占していくにつれて、御家人の第一人者に過ぎなかった北条氏の実質的権力は、漸次増大していった。」とある。

「摂家将軍・宮将軍の下では幕府で行われる訴訟の裁決は、将軍による下文ではなく執権によ

る下知状によって行われることになり、執権が幕府における訴訟の最高責任者となって将軍は訴訟の場から排除される事になるが、これは単なる執権の権力の拡大ではなく鎌倉幕府を維持する上で必要性があったとする見方がある。この考えによれば、御恩と奉公の論理によって支えられていた鎌倉幕府において、将軍は御恩の一環として御家人の所領を安堵して彼らを 保護する義務を負っていたが、御家人同士の所領争いの裁決を下す事で敗れた御家人に対する保護義務を反故にしたと受け取られ、将軍と訴訟に敗れた御家人との主従関係を破綻させる可能性を秘めていた。そのため、所領を安堵する将軍とは別に同じ御家人である執権が訴訟の裁許を行うことで、御家人同士の所領争いにおいて将軍と御家人における御恩と奉公の関係を壊すことなく公正な訴訟が執り行われることになり、幕府の訴訟制度の確立につながったとする。」とある。

「執権による公正な訴訟は御家人にとっても望

ましいものであった。また、合議制の訴訟制度の確立の過程で、かつ将軍の後見人(「軍営御後見」)でもあった北条泰時が、評定衆を取りまとめて将軍の代わりに裁決を行う役目として兼ねた職が執権の始まりで、時政・義時を執権としたのは過去の政所別当・軍営御後見を遡って「執権」と記した『吾妻鏡』の記述に由来とする説もある。やがて、北条氏の権力が増大するにつれて、幕府の公的地位である執権よりも、北条一門の惣領に過ぎない得宗に実際の権力が移動していく事になる。6代執権の長時の時代に、出家した執権の座を譲った得宗である時頼が依然として幕府内の権力を保持し続けた事が、得宗への権力移動の端緒となる。これ以降、得宗と執権が分離し、実際の権力は得宗が持つようになり、執権は名目上の地位となった。さらに、9代北条貞時が幼くして得宗と執権の両方を継承すると、得宗家に仕える御内人が貞時の補佐を名目として幕府の政治に関与する

ようになり、北条高時の時代になると、北条家の執事とも言うべき内管領の長崎氏が権力を握るようになった。」とある。この頃には部下までも権力を持ったのだ。

「近代になって龍粛が1922年(大正11年)に著した『尼将軍政子』の中で源実朝没後に執権が鎌倉幕府の実権を掌握してからの体制を執権政治と表現して以後、この語が広く用いられるようになった。ただし、近年では実朝の死後は北条政子が『尼将軍』として実権を掌握しており、執権政治への移行は政子の死後であるとする見方が出されている他、執権政治を2つに分けて8代北条時宗の急死後、幼少の9代北条貞時が幼くして得宗と執権をともに引き継いでからの体制を得宗専制と呼んで、それ以前の執権政治と分ける区分方法も行われている。」

〈執権職一覧〉

北条時政から始まり、北条義時、泰時、経時、時頼、長時、政村、時宗。

貞時、師時、宗宣、煕時、基時、高時、貞顕、守時。

さて、ここに得宗専制という制度が出てきた。執権とは何が違うのか?

簡単に言えば、北条一族の執権が御家人である評定衆をまとめるのが執権政治。執権は将軍を補佐する役割で幕府の役職。執権は代々北条氏が世襲。

「得宗は北条一門の嫡流(家督を継承する系統、人物)のこととなり、初代執権北条時政から5代時頼までは北条一門の得宗が執権に就任したので、得宗=執権という関係になるが、6代執権長時以降は得宗が執権にならないケースも出てきた。北条氏は他の有力御家人を次々滅ぼし5代時頼の時代に宝治合戦で三浦氏を滅亡させ、北条氏に対抗できる勢力がいなくなった。執権や連署、評定衆、引付衆、侍所、政所、問注所、六波羅探題など幕府の要職を北条一門が占めるようになると、一門をまとめる得宗の発言力が増大。評定衆による合議制は形骸化し、将

軍を補佐する執権の重要性が薄れたことで、得宗が執権に就任する必要性がなくなった。得宗に権力が集中したことで、得宗と側近が幕府の政策を決定する得宗専制政治へと移行していった。」ということは嫡流である得宗家が御内人と共に幕府を牛耳る体制が得宗専制なのだ。

現代政治の世界もともすると世襲制は非難されたりもする。そこまで悪しき制度とは思わぬが、この頃も人の欲がむき出しになっていたことが伺える。そのような行いはいかがなものだろうと疑問は出る。とにかく、将軍を祭り上げ、政治は自分達で行っていたということだ。

しかしながら現在の政治の和製的礎を築いた時代であることは間違いない。そして、鎌倉幕府が滅びるまで、北条方が幕府の実権を握っていたのだ。


〈参考文献〉

橋本義彦「執権 ()」(『国史大辞典 6』(吉川弘文館、1985年) 

上横手雅敬「執権 ()/「執権政治」(『国史大辞典 6』(吉川弘文館、1985年)

五味文彦「執権」/「執権政治」(『日本歴史大事典 2』(小学館、2000年) 

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