「脳活 星の勉強会 AtoZ」ch.9
23/7/22(土)
いつもの皆さま、はじめましての方々、おはようございます。暁 瑠凪(あかつき るな)です。"少しだけ"ためになる脳活配信をさせていただきます。どなたかに届きましたら、幸いです♡
*脳内の活性化をはかる為、星の勉強をちょっとづつ紐解いていきます。AtoZは暁の脳内の星の知識をすべて絞りだすという意味でつけました。
まずは占星学の歴史(論文 暁 瑠凪 書)を明示していきます。
「占星学の歴史」
2023/1/31提出論文より抜粋
第3章 日本の占星学の変遷
3−4 近世から現代 (結語含む)
近世から現代において、誰が、どう、占星学を浸透させたのか を10冊の書籍から見ていく。
日本人が大正時代に占星学テキストを発行していた。『天文ニ依ル運勢豫想術 一名現代考星學の栞』(1914)全154頁である。これは、日本において現存する宗教的要素を含まない明瞭な占星学資料である。著者の隈本 有尚氏は、日本の教育者であり、天文学者、数学者、心理学者で占星術師だ。書籍の目次を紹介する「第一篇 天文のいろは 第一章 日月諸曜其の本質及び類型 第二章 黄道帯の諸宮 第三章 天の諸室 第四章 星学上の座相 第二篇 生圖の組立 第一章暦及其の用方 第二章 天の圖の作方 第三章 室の表 第四章 諸曜の経過 第五章 蝕の表 第三篇 生圖の読方 第一章 諸室における曜 第二章 體質 第三章 健康及疾病 第四章 性格及氣禀 第五章 財政上の前途 第六章 地位又は身分 第七章 職業の選擇 第八章 婚姻の事情 第九章 苗裔の徴候 第十章 航海又旅行 第十一章 朋友及敵人 第十二章 臨終 第四篇 進行中に於ける諸曜 第一章 時の尺度 第二章 経過の效力 第五篇 生時の改正 第一章 託身期及男女性の法則 第二章 實例 附録 Ⅰ.室の表 Ⅱ.東出點の表 Ⅲ.帝国各要地の經緯 Ⅳ.黄道帯に於ける度次の赤緯赤經 Ⅴ.新着暦封照表 」 占星学に精通していれば、ほぼ理解できる内容だ。占星学の詳細が、栞として大正時代には紹介されていたということだ。また、学者の肩書きと並んで占星術師となっていることにも注目した。
『西洋占星術』(1963)は、理学博士である荒木 俊馬氏が、1963年に刊行した著書である。
西洋占星術としながらも目次を見ると“うらない”とし、各種占いが紹介されている。
目次は「序 I.緒論 §1.未来予知、§2.うらない(占卜)、§3.占星術と天文学、§4.占星術と人間の心理、Ⅱ.神話伝説と占星術の起源 §5.近東古代史概観、§6.ギルガメシュ叙事詩、§7.バビロニア・アツシュリアの天地開闢、§8.ギリシャ・ローマの神統記、§9.暦法と占星術、§10.バビロニア・アッシュリア・カルデアの占星術 Ⅲ.ギリシャ・ローマ時代の占星術 §11.ギリシャ人と占星術、§12.アレクサンドリア文化における天文学と占星術、§13.ローマ帝政時代初期の占星術、§14.いろいろな占法 Ⅳ.ホロスコープ占星術 §15.ホロスコープ、§16.ホロスコープによる運命診断、§占星思想と万有形而上学、§18.ルネッサンス初期の占星術界、Ⅴ.コペルニクス転向以後の有名人と占星術 §ティコブラーへとヨハネス・ケプラー、§20.第十六・第十七世紀の有識者、§ゲーテとシルラー、結語」 全176頁となっている。
占星学のテクニックだけではなく歴史的背景と共に多くの世界的な学者の名前をあげ、解説している。
『星占の魅惑 あなたは幸運をつかむ』(1968)は、1968年発行の著書である。
「プトレミーが現れた西暦一〇〇年頃から一七八〇年頃までは太陽を含めて、月、水星、金星、木星、火星、土星の7つの星よりなかったが、一七八一年から一九三〇年までの一四九年間に天王星、海王星、冥王星の三つの星が新らしく発見されています。こうした天文学の発達や、新らしい三つの惑星の発見は、いろいろな進歩や新発見を学問のうえに加えることになります。」
その後に近世の三羽烏としてセファリアル、アラン・レオ、ラファエルの名を紹介している。
次に目次の一部を記述するとオリジナリティあふれる目次が続く。
「星の診療簿[占星術とはどんなことか 星の診療 診療の一例]、あなたの宮とその主星[『火の宮』にあたる人 『地の宮』にあたる人 『風の宮』にあたる人 『水の宮』にあたる人]、あなたはどんな服飾を好みますか[服飾と占星術 宮と色彩との神秘]、おしゃれでわかる性格診断…、あなたの生まれ月で判る未来の夫の容貌と性格…、愛の囁きはどんな星の下ですればよいか…、数を使う魔術、あなたの結婚は調和していますか…、生れ月でわかるあなたの成功法…、あなたの成功する仕事…、第二恋愛論…」 である。
占星学ではないものも含まれているが、しかし、現代の占い師が扱う様々な手法が、題目通りではないものの網羅されている。
この頃、日本の占術家著書は、海外の翻訳書が多く、この著書は翻訳書ではないため、稀有な存在と言える。
この時代、占星学は、完全に密教や陰陽道とは一線を引き、海外からは占星後進国と言われた時代でもある。
著者のトービス・星図氏は、日本の作家、占星術研究家。兵庫県神戸市出身。戦災後、占星学を研究、日本聖星学研究所長 となった。
『星の宗教©️』(1970)では、現在でも継承されている妙見信仰、結びの項に北斗七星信仰に触れ、「北斗七星の神が日本に来たときは、むしろ個人のための神、個人に幸福を与える神となっていた。」、「信仰対象が星であっても、日本はやはり日本としての独自の姿を持ってきたのであった。」とある。
各章でも記述したように、ここでは書籍名通り『星の宗教』として占星学を解説している。
『星の古記録』(1982)では、明治時代874年、日本に海外観測隊が来たとして以下の解説がある。金星過日の天体観測を目的とし、訪日した記録だ。
「当時の日本政府当局者は、天文学的予備知識は全くなかったから、彼らの入国目的の金星観測など理解できるはずもなかった。」
数々の文献からも日本暦は存在していたのに、天文学としては予備知識がないことが記されている。
ゆえに、天文道である純粋な星の運行を知るすべは、1908年(明治41年)の日本天文学会発足を待つこととなったのだろうか。
70年ほど経った80年代頃でも、一般が天文暦(グリニッジ)を手に入れるのは難しく、英国から船便で送ってもらった記憶が蘇る。
日本標準時の天文暦発刊は、そこから15年余り待たなければならなかった。
その後、師からの情報で日本標準時版天文暦が手に入ったのは、1997年(初版)である。
手にした時は、時差計算から解放され、飛び上がるほどの喜びがあったのを記憶している。
『月の魔力 バイオタイドと人間の感情』(1984)では「出産時における月のリズム」論文 藤原正彦著、日本の産院5カ所のデータ2531件をもとに記され、結語では「この研究により、月のリズムが出産に影響を与えていることを支持するデータや仮説、数学的解釈がいくつか得られた。」
このように研究者が宇宙(天体)と人間の関わりを解明していくのである。
藤原正彦氏は日本の数学者。お茶の水女子大学名誉教授。
専門は数論で、特に不定方程式論。エッセイストしても知られる。
データ的には少ないが、今でも各国で継続されている研究テーマの一つである。
『占星学の見方』(1988)は、1988年に発刊され、現在でも占星学のバイブルとして重用されている著書の一冊である。
「占星学がひとにぎりの特権階級の所有物であった時代よりも社会機構がますます複雑かし、人間関係や職種専科が多様化しつつある時代にこそ、占星学はその価値を増してくるのではないだろうか。」と述べている。
同感である。
著者のルル・ラブア氏は日本の著名な占星学研究家の一人だ。
『占星学』(1994)は、心理占星書の草分けとして、1994年に発刊された。日本の心理占星術の草分け的存在である岡本翔子氏と鏡リュウジ氏が翻訳を務めた。ここから新たな占星学の潮流が生まれた。著者のリズ・グリーン氏は、アメリカ系イギリス人の占星術師、心理学者、作家である。
『陰陽道の本』(1999)では「武家社会の黎明たる鎌倉幕府自体、その成立前後から陰陽道の影響が著しい。」 と武家社会でも鎌倉時代には脈々と生きていた。
『陰陽師たちの日本史』(2014)では、著者も鑑賞したとある2012年に公開された映画『天地明察』が紹介されている。
江戸時代の天体観測の凄まじさをこの著書と映画で体感した。
注視したのが土御門泰福である。
「江戸時代の“陰陽道”の革新を推し進めた人物である。」 と記されている。
江戸時代から明治時代と陰陽師の変容が詳細に記されている。
その中で西洋天文学との関わりにもスポットを当て、“暦学者”の記述もある。
陰陽師そのものが衰退したように見えるも継承は現代にも息づいていることが窺える。
また、『古事記伝』の本居宣長やその弟子である平田篤胤(ホツマツタエに関わるとされる人物)など天文、暦に関わる人物が多く記されている。
最後に「この新しい時代。我々の頭上に輝く星々からは、いかなるメッセージが発せられているのか」と締めくくっている。
『宇宙誌』(2015)では、「十六章 宇宙は膨張している」に「藤原定家の『明月記』に百年以上前の伝聞として天喜二年の四月中旬以降(一〇五四年五〜六月)、天関に歳星ほどの大きさの客星が出現したとある。」 古くから綿密に天体観測していたことがわかる。
「二章 人類の世界観を変えた科学革命」と題し、人物紹介がある。
その中で日本の科学者湯川
秀樹(1907〜1981)が紹介されている。「素粒子の相互作用について」の研究で日本人初のノーベル物理学賞を受賞。
「十四章 ニュートンが登場するまでの宇宙観」には、陰陽五行説が紹介され、現代占星学の祖と言えるプトレマイオス、ティコ・ブラーエ、ヨハネ・ケプラーの名前もあった。
『天文学者たちの江戸時代―暦・宇宙観の大転換』(2016)では、西洋天文学の導入がなされ、天体観測への熱意ある徳川吉宗の試みであり、トップダウンによる暦改革が行われた。
麻田剛立なる新しい世代の天文学者が現れ、月のクレーターの深さ、地球の南極大陸、恒星は自光であり、ケプラーの第三の法則に相当する法則の考案など大活躍であった。
そして、ついに吉宗の願いが叶う、寛政の改暦である。
「江戸という街の名も幕府崩壊とともに東京と改称され、長く続いた江戸の天文学は名実ともに終わりを告げたのであった。」とある。
占いブームというのがある。振り返れば、突如始まり、ブームとして民衆に広がる。(占者からするとこのブームの解説と予測は可能なのだが…)そして、いつかブームが去る。しかしながら、脈々と水面下では継続し、静かなる広がりが訪れる。日本が終戦を迎え、歴史的に日本が落ち着いた頃からのブームを下記に記した。
第1次は、1961年『易入門 自分で自分の人生を切り開く法』、浅野八郎著の『手相術』が売れた事によるブームの到来。自分で自分を占えるという視点が生まれた。それまでは、特別な者が特別な人を占う閉ざされた世界であると思われていた。
第2次は、1967年、デパート催事の占いイベント、そして、占い学校が設立された。1971年には『non ~no』(集英社)で12星座占いが掲載された。
第3次は、1979年、神戸での「タロット展」、細木数子の「天中殺」、占い雑誌『MY BIRTHDAY』創刊、「血液型占い」のブーム、大学の同好会、サークル、研究会などで活性化された。
第4次は、1987年。原宿の塔里木(タリム)を筆頭に「占いの館」ができたのが、1986年だ。雑誌掲載やテレビ番組、ラジオなどに進出した。占いは、第4次産業ともてはやされた。
第5次は、1995年、新興宗教により事件が起こり、オカルトに関心が持たれた。13星座占いがブームとなった。PCで命式が出せるようになったのもこの頃だ。
第6次は、2004年。オカルトやSFを背景に占いブームが起きた。2005年には、「動物占い」ブームがきた。
第7次は、2012年。エンタメ化された占い(家電占いや寿司占いなど)が流行した。この時、スピリチュアルブームが起きた。
2021年、第8次占いブームになっている。現在の注目はどうも、「星占い」というより学問としての宇宙論的「占星学」への注目が集まっているのではないか。
過去から鑑みると「ブーム」を活用するものたちが群がり、熱が冷めると引き潮になる。
それが「ブーム」のサガだ。
日々、向き合っているものからすると継続する者の少なさに驚く。その際にいつも思い出すのが「星が人を選ぶ」だ。
この言葉は、師からの最高の贈り物だと今も大切にしている。
視点を変え、日本の“占星学”の流れを知るため、資料11 に現代の日本の占術家著書と事典・辞典を記した。
著者の初出版のみで共著・訳書は除く縛りで選択した。
やはり、テキスト、How to本としての役割があり、講座、講義、セミナーと連動するため、実践的な著書が目立つ。2006年を最後にしているが、その後も幾多の著書が出版されている。
むすび
妄想と想像に終始せず、歴史が物語る学問としての“占星学”を解明することを主題に“占星学とは”から論述を進めてきた。
歴史的視点から考察し、天体と地球人が密接に影響しあっていることは間違い無いと仮説をたてた。
また、天体が人々にどのような影響を与えたのか。
なぜ?占星学は学問として生きられず、別の道を歩まなければなかったのかを問い、歴史や自然科学などを通してこれらの疑問を解明したいと最後の章まであらがった。
歴史をバックボーンにすることで世界での拡がりやごく一部の特権階級のみ扱える貴重で稀有な学問であることが再認識できた。
また、日本だけにフォーカスすることで日本固有の占星学があることも認識できた。
この“占星学”を総括すると人類の科学への入り口となった星々は、姿を変えることなく、隠れることもせず、今も我々の頭上にいる。
そして、この学問(概念)に行きつき、双方向に別れた2つの占星学。
一般大衆の生活文化に溶け込むように存在する個人占星学(日本では宿曜道として発展)と原始の予兆占星学を頑なに守る世界(国家)占星学(日本では陰陽道が代表格といえる)が、現在も消えることなく存在する。
時代に淘汰されることなく生き続け、我々を魅了する。
時には、流布するために宗教を内包し、理解するものには占いという姿をまとい、変幻自在の名を持ち、我々に現実を突きつける。
また、蔵匿するための四行詩(カトラン quatrain仏)や教義として守り、隠し、生き続ける。
さらには、現状の注目度に焦点を合わせ、分析して本来の地球のあり方、人間の生き様を明示する。
この2つの占星学は、どちらもこの地球に存在し、今も振幅を繰り返しながら、脈々と受け継がれている。
ありがたいことに多くの先人が、数千年をかけて、幾多の困難を乗り越え、あらゆる手法で我々のために残してくれた稀有な学問である“占星学”を今後も世に残す活動が必要であると伝えたい。
そして、必要に応じ、この「時ぐすり(占星学)」を活用しながら、星からの智慧に淘汰されないようにこれからも研究課題として取り組み、今後も活動を継続していく。
最後に共感と共鳴できる見解として、プトレマイオスの言葉を記す。
「必然的に起こる出来事でも、思いがけなく起これば、通常は取り乱して混乱したり、度を越して喜ぶが、あたかも目前にせまってくるかのような物事をあらかじめ心得ていれば、魂は慣れ、落ち着き、そして起こるすべてのことを穏やかにかつしっかりと受け入れる準備ができる」拝
おわりに
時折、職能者として“占星学の魅力とは”と聞かれることがある。最近は「宇宙と人間の間を繋ぐ学問ゆえ生涯付き合えること」と答えている。
“心掛けていることは”の問いには「常に情報をアップデートし、検証し、研鑽し、実際に活用すること」と答えている。
本文の中でこの大切な部分にスポットが当てられたであろうか。
限られた文字数の中、言い尽くせぬ部分があることは否めない。
手前ごとではあるが、今後も星々と向き合っていく決心が強固にはなった。
暁 瑠凪(あかつき るな)
ちなみに
“論文用のインタビュー” を3名の占星研究家に試み、論文には記した。1人目は銭 天牛氏(二代目)、2人目はマドモアゼル・愛氏、3人目はフェニックス・ノア氏である。こちらには未掲載。
…つづく
以上、順次、中身を明示して参ります。
本日はここまで。
また遊びにいらしてくださいね。
占星学研究家 暁 瑠凪
「脳活 星の勉強会 AtoZ」は月曜・水曜・土曜に更新いたします。