挑戦〆リポート〆(26)

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2022年12月10日土曜日

挑戦〆リポート〆(26)



挑戦〆リポート〆(26)


 【民俗学特講】設題

書籍名:「村の暮らし(日本の民俗;6)」

著者:湯川洋司ほか著 

主題:伝統的な村落社会が近代以降の変容によって、どのように従来の秩序を維持しながら、社会の変容に対応しているのかについて論じよ。 


村社会を農業を通して、どう村が変容して行ったのかに焦点を合わせて、述べていくこととした。


まず、記憶に残ったのは、村を表す言葉としてテキストP211にある表現「人、家が存在する有機的な集団」という表現だ。有機的な集団の意味を調べると「組織の雰囲気が緩やかであり、しがらみも少なく自由な雰囲気の組織をさす。」とあった。雰囲気という文言で表されているのは、釈然としないが、その村、村で違うだろう緩やかで自由であるべき組織なのだと考える。だとしたら、近代以降変容しながら、秩序を維持し、どう対応したのかに興味を覚えた。


村に対し、多様な表記や認識があることとは別に、民俗学的にみた近代以降の変容は、明治の町村制施行(1889)から始まる。大規模な町村合併が行われ、行政上の町村が成立した。旧来の区画の村が大字や区として生まれ変わった。あくまでも行政区画としての村だ。それ以前の村は、ユイ(農繁期に家同士で手伝いあう協同労働関係)として存在した。その後、農山漁村経済更生運動(1932年〜)が全国的に行われ、教育施設として修練農場を作った。のちに「村の家」と呼ばれる。このように町村制施行により、村=部落の解体が進められたが、新しい体制の中でも部落を維持し、活用していった。


その後、終戦を迎え、町村合併促進法(1953)に制定施行された。しかしながら、農協合併は非常に少なく、青年会活動も旧来のまま、存在した。冠婚葬祭、生産に関わる互助関係が成り立つ中で、これを土台に行政機関に組み入れらたものも多くみられた。


そして、旧農業基本法(1961)に制定され、機械化や収穫物の規格、等級調整、出荷規模、品質の統一化が行われた。この頃、兼業農家が一般化された。いわゆる出稼ぎも行われた。高度成長期における日本の農山漁村は、互助協同制が、激しく変化する時代になった。それはテキストP232にある「ムラ内部の基盤を壊しながらも新たな協同関係を切り結んでいこうとしていったのかを考える目線が必要なのではなかろうか。」ここにムラとしての意義、意味が色濃く表現されていると思う。例えば、村単位で祭礼・互助協同などの組織は、青年団を中心に全国的に見られる。情報交換、コミュニティとしての組織、信仰名が付いた『講』もある。信仰的側面と別な要素を持った組織だ。また、、それとは別に経済互助的側面を持つ組織、頼母子講、無尽と言われるシステムもある。この無尽のシステムについては、私自身の親が仕事関係者と無尽を行っていたという経験があるので、リアルに理解が出来た。


次に変容を強いられたのは、農地を第一に考えた仕組み、1970年世界農業林業センサスだと思われる。家同士の関わりから、土地による区間へと変容していく。このことは、農業の排他性を生み出したと農学者守田志郎氏(1994)が疑問を呈している。 


時は流れ、平成の大合併(1999)へと進む。合併による過疎化、広域化した新地名による村と行政の意識のズレは否めない。元々、相互扶助を基盤とした繋がりは意識下で持っていると考えられる。認識のズレもあるように見える。とはいえ、1955年の臨時農業基本調査の農業集落の定義は「農業が農業上相互にもっとも密接に共同し合っている農業集団」家同士の関係性が成立しているとの定義から見ると相互扶助を一般化することで農村が減少しているように見え、衰退してるかのごとくマイナスなイメージが作られてしまったことは大変残念である。


前述した出稼ぎの問題を解消される動きもある。安定的な収益を農業のみであげていく工夫もなされた。成功する村もある。しかしながら、村の過疎化の問題は現実的には、深刻な問題も含まれ、抜本的な新しい仕組みで農村、漁村、山村も活性化することを望む。


テキストP233の中に「かつて誰もがイメージした村はもはや存在しない。」とある。生業をおこなう空間としての村はあるが、人の繋がりとしての大きな変貌をしているというのだ。繋がりという観点から見ると近隣とのお付き合いにスポットがあたるだろう。テキストP257〜の中にあるように「近所・近所親戚・隣」から見ても労働力の長期的交換関係(相身互い)の体制の再構築や家同士の新たなる局面を迎えているのではないかと思われる。


出荷も変容を重ねている。かつては、市場が望む量と均一に梱包され、不良品のない出荷ルールの下、農家が協業で行われていた。現在は、スーパーなどでも見かけるようになった、形状がバラバラでも出荷する産地直送も評価されるようになり、自分たち、村の仲間での作業に戻ってきた。


「組織の雰囲気が緩やかであり、しがらみも少なく自由な雰囲気の組織をさす。」という言葉に集約されるような村づくりは逆に現代であれば可能なのかもしれない。IターンやUターンもあり、村の空き家問題を解決する動きもある。SNSには、弊害があるものの活発に行われ、災害時のボランティア活動に生かされている通り、その行動の中に農山漁村も含まれ、ツブサに集落の状態が手にとるようにわかる時代だからだ。ここをもっと上手く活用出来るのではないだろうか。クラウドファンディングやシャッター通り改善のような農地活用、新たな取り組みやアイデアがうまれるであろう未来に期待したいものである。


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