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2022年11月6日日曜日

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【教育学入門】設題2

書籍名「教育学への誘い」

編著者:山崎高哉

主題あなたが今日の日本の教育が直面している最も大きな課題と思うものを一つ挙げ、それと教育との関連について述べなさい。


最も大きな課題と教育との関連について

日本の教育が直面している課題八章を読み、第1章の家庭と教育が根幹であると思った。しかし、家庭と教育を一括りに表現するのは、現時点においては隔たりを感じている。簡単には成立しない課題ではないのか?直接的な打開策というより家族、家庭に対する意識改革が必要な課題であると感じる。また社会の一員としての意識も重要なのではないか?それらを含め考察していきたい。


そもそも、家族の定義、現在の家庭の有り様に違和感や疑問を持っている。仕事柄、親子、夫婦、家族全体の悩みを聞くことが多い。また、未婚の方の結婚感も垣間見る。一緒に暮らす家族があり、子がいて成り立つ家庭。かつては当たり前のように本文中にある「暮らし」があった。しかしながら、現社会は「暮らし」のその背景に八章すべての課題が絡み合って、複雑化しているのが現実だ。


そこで、問題、課題を明確にするため、第1章の「家庭と教育」についてまとめていく。


1.家庭という〈問題〉

⑴家庭と教育をめぐる諸問題P146

「実態として、家庭・家族の崩壊や解体、病理や逆機能を示すかのような現象が噴出している。」(DINKs、ホテル家族、個族、解離性性同一性障害、アダルトチルドレン、共依存、孤食など)は、第7章の「価値の多元化と教育」に関連する問題とリンクしている。「家庭の教育力の低下が指摘されるかたわら、すさまじい勢いで早期教育が家庭に侵入してきつつある。」は、教育格差を生んでいる根底に家庭の経済力も関わっているのではないか。「高齢化社会の急激な到来か〈介護〉という課題」は、第8章の「環境問題と教育」に関連する問題とリンクしている。また、養育と介護は「人間に対するケアとして、本質的に共通するものがある。」とある。ここは養育と介護を経験した者として実感がある。

⑵〈問題〉としての家庭p148

「家庭は根本的に問題を抱えている」、「家庭・家族そのものが原理的に問題なのだ という認識」、「『魂の殺人』さえ犯しかねないもの」、「『愛の巣』それ自体が『病巣』であるかもしれない」とある。

確かに、親子の問題で多く聞かれる、過干渉と否定愛。玩具的扱いと認めて貰えない存在。どちらも悲しい事実だ。このことで年齢的には大人になった者もかなり長い間苦しんでいるという現実がある。この現実がある以上、「魂の殺人」「病巣」と呼んでも仕方ないことだ。現状では、持たなければならない認識であると言える。家庭の定義としては正解というのがない中、多様な形があって然るべしだ。しかし、バックボーンにあるべきものは共通しているはずと考えられる。

2.原初の家族の姿-ヒト・家族・ケア- P149

「家族の成立は人類の発祥と同時だったと見ることができる」(動物の種社会を構成する社会的単位をオイキアという)、「①オイキアを②雄・雌間に③インセント・タブーが④オイキア間に⑤複数の形成されること。」、「家族が成立するためには〈協同〉〈分配〉〈交換〉などの社会的行動が発達してなければならない」、「他の家族メンバーに対する顕慮・配慮(ケア)がなければならない」とある。至極当たり前で当然だと思うが、現在では難しく、過去の出来事なのか?核家族化が進む中では難しいのか?

3.家族の機能と性別役割分業・ジェンダー

⑴家族の機能と役割 P150

「社会システムは適応、目標達成、統合、潜在的なパターン維持と緊張処理である」、「性別役割分業それ自体は否定すべきでもないと考える。吟味・検討すべきは、その今日的な在り方なのである。」とある。このシステムバランスが家族という集合体のキモであると考える。今後の課題であることは間違いない。

⑵養育と父親 P151

役割については「みんながひとしくメンバーであるということを象徴的に表現する」、家事については「貨幣価値には還元できない独自の価値としてきちんと評価する」とある。家事労働の評価が見過ごされていた過去がある故に、価値としてみたことは、通過点としては評価したい。とは言え、それだけではなく、根本を見たほうが良いのだという意図は家事を担う者として有難い。

⑶ジェンダーと拒食症 P153

「自己のアイデンティティを獲得することへの無意識の抵抗・拒否が、拒食症の陰に隠されているように思われる。」、「家族とは、人間の〈共同〉的存在の根本様態、根本形式なのである。」 とある。拒食症を抱えた方も私の元に来ることがある。自己否定の果て、行為に及ぶと感じている。

4.生活の変化と家庭の空洞化

⑴裸の家族 P154

過去は「生活全体に具体性があった。」、現在は「豊かで便利でラクな消費生活に変わった。」とある。また、最後にあった「生活における目的と課題の欠落を埋めることはできず。」に繋がる。便利が不備を生んでいるとということなのか?人の努力、工夫が根本的な事を忘れさせ、便利とラクに流れ過ぎたということなのか?貪欲さが裏目に出たということか。

⑵外注化と個人化 P157

「家庭で行なうことと言えば、いまや、食事・睡眠・排泄・入浴・セックスと、休息・寛ぎ・

憩い・娯楽が中心である」、「家庭の機能の外部化・外注化が、とどまるところを知らず進行していく。」いわゆる「便利〈施設〉となる。」、「いうなれば家屋あって家庭なし」とある。「家族は結びつく必然性を失って『ホテル家族』化し、」とある。

確かに耳が痛い部分もある。幸福論は各々であるにしろ。陳腐な言い方かもしれないが、愛情があれば、絆が生まれる。病の共有もしかり、負の要素ではあるが、ピンチな時こそ、家族の想いが、そして、心の中の確かなものが見えてくる。向き合うことの大切さが見える。

5.家庭教育の原理的基底としての〈ケア〉

⑴〈ケア〉の場としての家庭 P158

「ケアとは何か。ー気遣う、心配する、気に懸ける、関心をもつ、気をつける、気を配る、配慮する、注意する、大切にする、思い遣る、労る、そして、世話する、保護する、面倒を見る、等々。」(〇〇にこころを寄せる)とある。そうありたい。ここを教育の根幹にすべきと声を上げていくべきだ。ふたたび「現代の『ホテル家族』は〈ケア〉という原理を欠いている」とある。そこが課題であり、一番の問題なのか。

⑵親に求められるもの P160

「無条件に子どもの『存在』を肯定し受容して真率な関心を寄せること、家庭を子どもと自分との〈存在の場〉〈居場所〉とすること」、現在「子どもというものが授かるものからつくるものになって」、「こどもはみずから望んでこの世に生まれてくるのっはないし、親を選んで生まれてくるわけでもない。にもかかわらず、その親に全面的に頼る他、生きていくことができない。それゆえに、親には、この事実に見合うだけの深い認識と覚悟が求められる。それがなければ、家庭も子育ても、一切が親〈個人〉の恣意によることとなり果てるのである。」、そして「家庭とは人間が〈共に在ること〉、〈共同存在〉の原基であり、〈存在に対する真率な関心・配慮〉すなわち〈ケア〉の原体験の場である。」また、家庭とは「人間の〈生〉と〈存在〉の根源に位置するもの」とある。このことが家族、家庭の根幹であると考える。


(結論)

家庭は小さな社会である。家族はその社会(規律の中)に参加し、向き合い、認め合い、愛をバックボーンに持ち、一から作り上げて行くものだ。どんなに便利になってもケア力は忘れては、成り立たないと知るべきだ。そして、P150〜の章にもあるように、人は1人では暮らしていけない、誰かの行いに助けられ、暮らしているのだ。


つまり教育は暮らしの中で作られるコミニティーと外社会とのリレーションにより成り立つのである。社会全体が人を育て、導く「教育」を各々が意識するべきだ。特に教育者(親も含む)は、その「教育」が定着するよう「教育」すべきだ。


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