挑戦〆リポート〆(17)

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2022年11月20日日曜日

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挑戦〆リポート〆(17)


◆【西洋の歴史】設題1

書籍:「子どもたちに語るヨーロッパ史」

著者:ジャック・ル・ゴフ

(監訳 前田 耕作、訳 川崎 万里)

設題1:テキスト『子どもたちに語るヨーロッパ史』について。

ヨーロッパ世界はどのように形成、発展してきたのか。また現代にどのような歴史的影響を与えているといえるのか。テキスト全体を意識しながら論じなさい。


長い期間(テキストでは18世紀まで、一般的には5世紀〜15世紀まで)偉大な創造の時代の中世を経て、ヨーロッパは創られた。ヨーロッパという言葉が現れたのは、ピウス二世が関わる条約、15世紀半ばなのだ。それ以前は、西ゴート族*1がローマを占領、略奪するところから始まり、カタラウヌスの戦い*3、西ローマ皇帝位をコンスタンティノープル*4に返上、ベネディクト会*5が創始され、ムハンマド*6没、ムーア人*7がスペイン征服開始、カール・マルテル*8がムスリム*12を撃退、カロリング朝*13始まる、第二ニカイア公会議*15、教皇シャルルマーニュ*16、ローマ皇帝戴冠。とここまでで8世紀、息が吸えないくらい濃い中世だ。


シャルルマーニュの帝国を分割大開墾開始、オットー大帝*17が皇帝即位し、ローマ帝国を創始、プラハに司教座を設置、カペー朝*18始まる。が10世紀だ。こうして宗教がヨーロッパに浸透していくのだ。


クヌート大王 デンマーク王とイングランド王兼任、西洋で大飢饉、ローマとコンスタンティノープルの断絶、征服王ウィリアム、イングランド王に即位、参事会*19成立、アルフォンソ6世トレドを攻略、第一回十字軍*20、フランドル沼地の干拓開始、グレゴリウス改革*21。が11世紀。まだまだ、混沌としている。


ロマネスク様式からゴシック様式に移行、ブーヴィーヌの戦い*221213世紀は修道院の話題が多く、すべての事柄が宗教に彩られている。


ダンテ「神曲」を執筆、ユダヤ人の虐殺、黒死病*23の大流行、教会大分裂始まる、フランスでユダヤ人の最終的追放、カルマール同盟*24締結、ヤンフス*25火刑、サンタマリアデルフィオーレ大聖堂建立、ジャンヌダルク火刑、印刷術を実用化、英仏百年戦争終結、印刷された聖書の誕生、教皇ピウス2世の在位、スペイン統一、イスラム支配の終焉、トルデシリャス条約。1415世紀、文化、技術の発展とともにヨーロッパの中だけではなく、世界へ、地球規模へと影響力を与える道筋が見えてくる。


歴史として、ヨーロッパ統一へと向かう流れを示し、メンタリティも含め、テキスト内で余すことなく語られている。宗教と政治にまみれた中世がヨーロッパを生んだという観点だ。先史からアジア、アフリカと影響しあって、戦い、移住、植民地化し、交易もさかんに行ってきた。文化も学問なども共通性を持ち、共に発展して来た。それは古代ギリシャ、ローマの文明が大きく関わっている。キリスト教の影響が徐々に浸透し、教会組織が権力を握ることとなる。それもまたヨーロッパの共通性を生んだといえる。ヨーロッパの共通遺産は学問と文化である。ここの中心もまた、教会なのである。この事から戦いも生まれ、本末転倒の感は否めない。宗教と戦争、この流れは悲しいかな、今も続いている。一神教の憂いだ。


改革、革命により、封建制度が終わり、近代へと移り変わる。その後、軍国主義であった日本も民主主義となり、西洋文化を崇める向きもあり、他国との関わりも変わって来た。欲を中心に発展する世界は終わりを告げているが、問題解決には、まだまだ時間が必要のようだ。


複雑なヨーロッパ史を紐解いていくと現代につながる世界史が見えてくる。ヨーロッパの多様性と統一性、国民の独立心、自由、伝統、独自性を守りながらも現在も離合集散を繰り返している。世界史が理解出来ないのは、ヨーロッパ史が複雑だからとの考え方に賛同せざる得ないくらいヨーロッパの歴史の流れは魅力的かつ刺激的だ。


・*西ゴード族-ゲルマン人*2の一派である。歴史上は、270年頃からこの西ゴート族と東ゴート族に分かれる。

・*ゲルマン人-原始ゲルマン人は中世初期に再編され、ゲルマン民族となり、4世紀以降フン人の西進によって、ゲルマン系諸民族は大移動を開始し、ローマ領内の各地に建国して、フランク、ヴァンダル、東ゴート・西ゴート、ランゴバルドなどの新しい部族が形成された。

・*カタラウヌスの戦い-ゲルマン民族の大移動の時代に、フン族と西欧諸民族連合軍の間で行われた会戦である。

・*コンスターティンノープル-東ローマ帝国の首都であった都市で、現在のトルコの都市イスタンブールの前身である。

・*ベネディクト会-現代も活動するカトリック教会。最古の修道会。

・*ムハンマド-イスラム教の開祖、軍事指導者、政治家。

・*ムーア人-北西アフリカのイスラム教、教徒の呼称。

・*カール・マルテル-メロヴィング朝*9フランク王国の宮宰。カロリング家出身で、トゥール・ポワティエ間の戦い*10でウマイヤ朝*11の進撃を食い止め、西ヨーロッパへのイスラム教徒の侵入をイベリア半島でとどめたことで名高い。

・*メロヴィング朝-ゲルマン人(西ゲルマン)であるフランク族の支族のサリ族が築いたフランク王国における最初の王朝である。

・*10 トゥール・ポワティエ間の戦い-732年にフランス西部のトゥールとポワティエの間で、フランク王国(9)とウマイヤ朝の間で起こった戦い。ツール・ポアティエの戦いとも表記する。

・*11 ウマイヤ朝-イスラム史上最初の世襲イスラム王朝。

・*12 ムスリム-「(神に)帰依する者」を意味するアラビア語で、イスラム教の信者のことである。

・*13 カロリング朝-メロヴィング朝(9)に次いでフランク王国12番目の王朝。宮宰ピピン3世*14がメロヴィング朝(9)を倒して開いた。名称はピピン3世の父、カール・マルテル*8にちなむ。

・*14 ピピン3-フランク王国の国王。フランク王国宮宰カール・マルテルの子。

・*15 第二ニカイア公 -787年に小アジアのニカイア(二ケア)で開かれたキリスト教の公会議。

・*16 教皇シャルルマーニュ-カール大帝とも呼ばれ、初代神聖ローマ皇帝とも見なされる。カロリング朝を開いたピピン3(14)(小ピピン)の子。ドイツ(神聖ローマ帝国およびオーストリアを含めて)、フランス両国の始祖的英雄と見なされていることから、ドイツ風とフランス風の呼び方を共に避けて英語読みのチャールズ大帝という表記が用いられることもある。

・*17 オットー大帝-中世ドイツの王。オットーはカール大帝に倣い、戴冠式をアーヘン大聖堂(エクス・ラ・シャペル)で挙行する。

・*18 カペー王朝-中世フランス王国の王朝。

・*19 参事会-自治都市の議決機関。

・*20 第一回十字軍-1095年にローマ教皇ウルバヌス2世の呼びかけにより、キリスト教の聖地エルサレムの回復のために始められた軍事行動。

・*21 グレゴリウス改革-11世紀に教皇グレゴリウス7世(在位:1073-1085年)によって推進されたカトリック教会の改革。 

・*22 ブーヴィーヌの戦い-1214年、フランス王国のカペー朝・フィリップ2世が、神聖ローマ皇帝オットー4世、イングランド王国のジョン、フランドル伯などの連合軍を破った戦い。

・*23 黒死病-ペストのこと。

・*24 カルマール同盟-1397年にデンマーク・ノルウェー・スウェーデンの3王国間で締結された同盟(物的同君連合)。

・*25 ヤン・フス-チェコ出身の宗教思想家、宗教改革者。ジョン・ウィクリフの考えをもとに宗教運動に着手し、ボヘミア王の支持のもとで反教権的な言説を説き、贖宥状を批判し、聖書だけを信仰の根拠とし、プロテスタント運動の先駆者となった。カトリック教会はフスを1411年に破門し、コンスタンツ公会議によって有罪とされた。


《参考文献》

五十嵐ミドリ「西ゴート王国」『スペイン・ポルトガルを知る事典』牛島信明他監修


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