挑戦〆リポート〆(14)

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2022年11月13日日曜日

挑戦〆リポート〆(14)



挑戦〆リポート〆(14)


◆【三つの能力の関係を問う】設題1

副題:今後の学習計画と課題


(序論)

三つの能力関係を踏まえ、今後の学習計画と課題を問う⇒ テーマ


しかし、その前に学習経験、または方法はどうであったのか?読む(読んで理解)書く(アウトプット)問う(考えるの出発点)を念頭に置くと確かに読む、書くは出来ていた。明確な問うを可視化して来なかったのではないか?⇒ 疑問の提起


それにもかかわらず、次々と新しい話題、課題に翻弄され、新しいことに触れる喜びだけで満足し、明確な問うを意識出来ていない気がする。それは一体なぜなのだろうか?また、今後自立学習の計画を立てて行くにはどうすれば良いか?⇒ 問いかけ


そこで三つの能力の関係を踏まえ、今後の学習計画と課題を問うてみよう。⇒ レポートしたい事


(本論)

問うを実践する(課題)

1.手引き書により三つの能力を知ることができた。読む、書く、問うという能力だ。

2.読み、理解する。理解した事を書く事でアウトプットする。問う能力は二つの能力へ関わってくる。

3.読みながら、問う。書きながら問う。こうする事で考え、解決していく。

4.過去の学習経験でわかったことは読む、書くは出来ていた。しかし、要約文でしかない状態であった。

5.過去の学習経験でわかったことは読む、書くだけで学習を終わらせていた。結果、疑問を持たなかった。問う力(能力)がない。

6.過去の学習経験では明確な問うの意識がなかった。感想はあるものの疑問ではなかった。

7.今後は問う(考えるの出発点)への意識をすることが課題である。疑問を持つことだ。

8.知らなかったことを知れた喜びはある。問うは喜びだけでは終わらせない力があると理解し、そこから一歩踏み込む問うの意識を持つ。

9.問うことで一つ一つの話題、課題が深まると確信できる。疑問を持ち、解決する力だ。

10.問うは私自身にとって必要不可欠な能力になると手引き書を読み、理解した。


今後の学習計画を立てる

1.計画するにあたり、自身の立場、立ち位置はどうなのか?と問う。社会人であり、妻、母、嫁、祖母という役割がある。

2.1を見てしまうと言い訳のような時間のなさが浮き彫りにされて行く。しかし、乗り越えるには映像の中であった、自分を励ますとある。そう励ませば良いのだ。

3.2をうけて、どう励ますのかを問うてみる。以下46のように自問自答してみた。

4.まだ、1つ目の課題でありながら、歓喜している自分がいる。こんなに学習意欲があったのかと驚きを隠せない。

5.4年間に渡る学習の継続を鑑みるとスタートだから4のような現象が起きているのかもしれないと疑う。

6.学習の動機が待ちに待ったタイミングゆえに4のような意欲だとしたら、本気度がものを言うのか?この答えは4年後に出るはずだ。

7.どう励ますか?やっと来たタイミングなのだということ。長い間の思い。「楽しむべきだ」と励まそう。20代、30代、40代、50代、そして60歳になった今だからこそのタイミング。

8.どう励ますか?自立学習とはいえ、孤独ではない。「1人ではない」と励まそう。そのために歴史ある実績ある本学を選んだ。仏教という壮大な教えに裏付けされた導き。

9.学習計画を立てるにあたり、映像教材内の「必要なのは隙間時間を上手く利用する事である」や「5分の積み重ね勉強法」は強い味方だ。

10.計画に関しては無理なく余裕ある配分が望ましい。卒業まで、大量に書くリポートに押しつぶされないようにする為なのだ。


テキストP135(以下からT.P135と記す)に「読・書・問の能力がきわめて基礎的な学力だということ」のとおり、自立学習の三つの能力はこの学習の中心であると理解した。また、T.P133にあるように三つの能力が「連関しあっていわば螺旋的に向上していくこと」とある。この事は揺るぎない事である。T.P9にあるように「自己流に読むではなく、書かれている内容を正しく理解すること」なのだ。「読むことを意識的に学ぶ必要がある」とも説いてる。また、読んで理解する事は、文章だけではない経験することだとT.P27にある「生活や社会を観察することは、学問を『虚学』にせずに真の『実学』に結びつけることができる」と教えてくれた。映像教材にも「ある程度リアルな経験をする」や「教科書=講義」だと教えられた。T.P33の三つのステップも映像教材と合わせてみると理解しやすい。注意点としては「『残像』が消えないうちに」や「課題意識を忘れない」、「難所は後回しにせよ、ただし印しを残せ」だ。技術としての読むはT.P10にある「本人の価値観とも離れ、また著者の意図からもいったん離れて、文章に表現されていることがらを正確に読解する必要がある」と解説されていた。書くに関連して映像教材内の読むの章にあった「読まなければかけない」や「WhyWhatHow」など知識を取り入れ整理する為であるということ。T.P12の「『行間を読む』より『行間に書く』こと。第1章第1節⑵の見出しである「読むから書けるレポート」、「沈黙のテキスト」、「読むから読める」というセンテンスはわかりやすいかった。特にT.P14の「テキストに『語らせる』必要がある。」は一番心に響いた。書く章ではT.P59の「放電」は納得である。なぜの節に三つの効用があることも知り、レポートの性格は「出された課題に対する報告」と理解した。どのようにの節では、「その論拠を事実をあげて論ずる必要がある。」「私的体験は一般的な証拠にはならない。」で具体的にみれた。T.P73のレポートの4つのステップを踏まえて書く。そして、T.P134に本文中で「限定してきた対象よりも拡張することができる」ということ。技術等を初めて知ることが出来、それを軸に学習を進めていく。映像教材にもあった「高める為にメディアを利用する」ことも活用する。問うという事へ踏み込んで行く。そして、私自身も改めて自立学習をするんだと決心した。しかしながらそれでも、リポートを書くという行為は学ぶ者として皆、不安が伴う。皆がと思えたのは映像教材の中やT.P64で紹介された「学習の不安」第1位で約70パーセントの方が持つレポートへの不安である。克服する方法として「レポートを書いてみて」とあった。また映像教材内の「レポートの悩み」を視聴することで書くことへの不安は少し払拭された。タイトル決めもT.P81の「視点が明確になり内容も精選できる」を活用した。T.P107ここで改めて「『考える』ためには『読む』、『書く』だけではなく、『問う』能力が必要なのである。」や問題を自覚し、発見し、解決を意識的に求めることとある。こういった学ぶことの真髄に触れて、試行錯誤しながら前進するイメージだ。自分のものにしていけば、T.P3にある「三つの能力を自由自在に働かせることができる」とリンクする。当初、自立学習は孤独と思えた。T.P4の「考えるという営みは孤独な試行錯誤である」とある。とはいえ映像やテキストという指導者がいる。立場は違えど、それぞれの思いで集う仲間がいる。脱落しないように支えてくれるシステムがある。T.P7の最後に「自分にふさわしい方法を選択し、工夫し、確立していってほしい。」とある。そうだ、先人の方々が乗り越えて来たように、私自身を鼓舞しながら進めて行こう。


私は社会人であり、妻、母、嫁、祖母という役割の中で貴重で限られた時間でも可能な学習計画を立て、欠落していた問う力をつけることがこの学習の課題なのである。無理のない学習計画と問うという課題。このことを旨にしっかりと自立学習をしていくと決意したのである。


別エピソードとして、私の名刺にはよむ、書く、教えると記載がある。これは私の仕事内容を端的に表した記載である。このことがあった為、手引き書にあった三つの能力読む、書く、問うが、すんなりと入ってきた。そして、嬉しさでほくそ笑んだ。私のよむは鑑定、書くは原稿書き、教えるとは文字通り講座やスクール活動に従事していることである。この事にも通信教育に何かしらの縁を感じたのである。


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